山田準『洗心洞箚記』(本文)131 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.3.19

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『洗心洞箚記』 (本文)

その131

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

       おこ      のぞ 一六〇 一利を興すは、一害を除くに如かず、一事を          はぶ         やりつ  生ずるは、一事を省くに如かずと。而て耶律文正の   いづ        ぼくば  言何くより出づるぞ、牧馬の童子も亦た其の馬を害                    さうしつゑん  する者を去るのみの答へより来る。而て荘漆園の論、  いづ        えい            何くより出づるぞ、四裔両観の誅より来る。而て虞     せん  帝と文宣王との挙は、何くより出づるぞ、太虚の真  仁より来るなり。鳴呼、政の道は、実に其の害する            てい    ねい  者を去るに尽く。故に鄭声を放ち侫人を遠ざくるは、  亦た只だ人心を害する者を去るのみ。漢唐の中主に       ぼうこ          こそくいんじゆん  至つては、茫乎として斯の義に暗く、姑息因循、煦                 うる  煦の小変を施し、以て民を沢し物を潤ほすとなす。               嗟乎、これ漢唐の人為、三五の天徳に及ばざる所以  なるかな。   興一利、不一害、生一事、不   一事、而耶律文正之言、従何出焉、自牧馬童   子亦去其害馬者而已矣之答上来、而荘漆園之   論、従何出焉、自四裔両観之誅来、而虞帝与   文宣王之挙、従何出焉、自太虚之真仁来也、   鳴呼、政之道、実尽乎去其害者矣、故放鄭声、   遠侫人亦只去人心焉耳、至漢唐中主、   茫乎暗斯義矣、姑息因循、施煦煦小愛、以為   沢民潤物、嗟乎、此所以漢唐之人為、不三   五之天徳也哉、


耶律文正。元
初の宰相耶律楚
材、文正と謚さ
れる。

牧馬云々。荘
子の語。
荘漆園。荘子
嘗て漆園の吏と
なる故に云ふ。
四裔。舜四凶
を誅し四裔に投
ず、裔は遠きは
て。
両観。孔子魯
の政を乱す少正
卯を両観に誅す、
観は公門の関。
虞帝。舜。文
宣王、孔子。
鄭声云々。論
語衛霊公篇の語。

煦々。小仁の
貌。
三五。三皇五
帝。


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