山田準『洗心洞箚記』(本文)133 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.1

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『洗心洞箚記』 (本文)

その133

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

               ちんこうほ  かじやく わうわい 一六二 程朱当時に在つて、奸人陳公輔・何若・王淮・   こ     ざんき ふばう          きよく  ぎ  陳賈等の讒毀誣妄を免るる能はず。而て曲学偽学の       せうゆ           はいまう  禁、天下に詔諭するに至る、何ぞそれ悖罔の極れる                      たくま  や。然り而て天定れば、則ち讒毀志を一時に逞しう       ちうめつ  する者、皆虫滅草亡し、而て程朱の学、天地日月と、  いう                      悠久の光明を争ふ、亦た大ならずや。史臣甞て程学  の禁を論じて曰く、「大抵聖賢の道は、当時に行は                          れず、而て後世に行はるるもの、理勢然るなり。高  宗但だ孔孟を尊ぶを知つて、而て伊川を尊ぶを知ら  ず、理勢にあらずや。正に孔孟をして当時に在らし  むるも、亦た高宗に尊ばれじ、それ何ぞ怪まんや」  と。史臣嘗て又た朱学の禁を論じて曰く。「王淮は たう  唐仲友の故を以て、深く朱子を怨み、謀つて之を沮  せんと欲す。是れに由つて陳賈は鄙夫なり。風旨に  すうじゆん      ていき              し  趨順し、上章詆毀し、厚く聖賢を誣ゆ。鳴呼、道学      き い        あざむ     し  を以て詭異と為す、其の天を欺き人を罔ふ、これよ   いう                   のこ  り尤なるはなし、是れより道学の名、禍を世に貽せ             この   ほろ       きやう  り。然りと雖も天の未だ斯文を喪ぼさざる匡人それ  予を如何せんや。吾が道は青天白日の如く、大に世           くてい  はうせん  に明らかなり。一二狗の謗する所ならんや」と。                 ようん  史臣の論弁は、明快痛切にして余蘊なしと謂ふべし。                  まつさつ  然れども奸人の曲学偽学を以て之を抹殺するは何の                 よし  故ぞや。吾れ請ふ一言を以て其の由を弁ぜん。夫れ  聖賢の言行は、大いに俗情に反す。俗情とは何ぞ、 たうせき  盗跖が云ふ所是れのみ。其の言に曰く、「人の情、  目は色を視んと欲し、耳は声を聴かんと欲し、口は  味を察せんと欲し、気は盈たんことを欲す。人は上                びやうそうしさういうくわん  寿百歳、中寿八十、下寿六十、病痩死喪憂患を除き、  其の中口を開いて笑ふは、一月の中四五日に過ぎざ  るのみ。天と地とは無窮なり、人の死は時あり、時                 たく    こつ  あるの具を操つて、而て無窮の間に託す、忽然とし   きき  げき  て騏驥の隙を過ぐるに異なることなし。其の志意を よろこ  説ばし、其の寿命を養ふ能はざる者は、皆道に通ず            きう            る者にあらざるなり。丘の言ふ所は、皆吾れの棄つ              ぐう  る所なり」と。これ荘子の寓言なりと雖も、今古貴  賤上下の心口相期する所のもの、斯の数語を出でざ  るなり。而て聖賢の道は則ち之に反す、礼にあらざ     してい  れば視聴言動するなし。而て志気常に内に収まりて        びやうそうしさういうくわん  以て放たず。病痩死喪憂患の中に在りと雖も、皆其                        るい  の心を尽すを以て道と為す。未だ嘗て是れを以て累  と為さざるなり。而て常人の口を開いて笑ふ者は、  いんぎ はういつ                 淫戯放逸の事にあらざるはなし。聖賢之に遭へば決          しゆくあつさんび  して笑はず。却て蹙眉以て憂愁悲哀するある者                       ざん  多し。常人天地を視て無窮と為し、吾れを視て暫と           さかん  為す。故に欲を血気壮なる時に逞しうするを以て務  と為すのみ。而て聖賢は則ち独り天地を視て無窮と  為すのみならず、吾れを視て亦た以て天地と為す。        うら  故に身の死を恨まず而て心の死を恨む。心死せずん  ば、則ち天地と無窮を争ふ。是の故に一日を以て百        りん       しんゑん             す ゆ  年となし、心凛乎として深淵に臨むが如し、須臾も  放失せざるなり。故に又た嘗て物を以て志を移さず、  欲を以て寿を引かず。要は人欲を去つて天理を存す  るのみ。彼れは則ち天理を去つて人欲を存するなり。  天理を去つて人欲を存する、是れ乃ち常人の期する  所。則ち人欲を去つて天理を存するの教は安んぞ其        さから  の耳と心とに逆はざるを得んや。彼れ耳と心とに逆           はか  ふを以て、自ら之を揣れば、則ち聖賢の教を以て、         必ず人情を矯むと為す。人情を矯むと為せば、則ち        きよく  ぎ  其の勢吾れに曲と偽とを教ふと謂はざるを得ざるな  り。これ乃ち曲学偽学の名の由つて起る所なるか。  吁、曲にあらずして而も曲と為し、偽にあらずして  而も偽と為す。曲にして曲にあらずと為し、偽にし            りよくたうち      ぎやくゐ  て偽にあらずと為す、理欲倒置、是非逆為す、豈悲                   おさ  しむべきにあらざらんや。程朱一時に抑へられて、        の    まこと            而て万世に伸ぶ、固に大なり。然れども其の躬後世  に在らば、則ち亦た何ぞ之を尊ばんや。只だ其れ之  を尊ぶや、死して言はざるを以てなり。もし死すと       わか  雖も理欲を判ち、是非を正すこと生前の如くんば、    いと            ししやう  之を厭ひ之を悪み、誰か敢て之を師尚せんや。何を         くんちん  以て之を知る。君陳に曰く、「凡そ人未だ聖を見ざ       あた  れば、見る克はざる如し。既に聖を見れば、亦た聖    よ         なんぢ  に由る克はず。爾それ戒めよや」と。夫れ聖を見ざ      ぎやうぼ  れば則ち仰慕し、見れば則ち其の教に由る能はず。  たゞ  啻に其の教に由る能はざるのみにあらず、必ず奔つ                なんぢら  こ  て避く。故に陽明子亦た曰く、「們一箇の聖人を  とも                    すべ  拏へ去り、人と学を講ず。人聖人の来るを見、都て  おそ  怕れて走り了る、如何ぞ講じ得て行はん」と。吾れ  此の二語を以て、其の之を師尚せざるを知るなり。               而て後来陽明子の学を以て異学と為す、其れ亦た理            なん  まど  勢の免れざる所なり、奚ぞ惑ふに足らんや。   程朱在当時、不於奸人陳公輔何若王淮   陳賈等之讒毀誣妄、而曲学偽学之禁、至諭   於天下、何其悖罔之極乎、然而天定、則讒毀逞   志一時者、皆虫滅草亡、而程朱之学、与天地日   月、争悠久光明、不亦大矣乎、史臣甞論程   学之禁曰、「大抵聖賢之道、不於当時、而   行於後世者、理勢然也、高宗但知孔孟、   而不伊川、非理勢乎、正使孔孟在当   時、亦不於高宗、夫何怪哉、」史臣嘗   又論朱学之禁曰、「王淮以唐仲友之故、深怨   朱子、欲謀沮之、由是陳賈鄙夫、趨順風旨、   上章詆毀、厚誣聖賢、鳴呼、以道学詭異、   其欺天罔人、莫此為尤、自是道学之名貽禍   於世矣、雖然天之未斯文、匡人其如予何、   吾道如青天白日、大明於世、一二狗謗   哉、」史臣之論弁、可明快痛切無余蘊   矣、然奸人以曲学偽学殺之、何故也、吾請   以一言其由、夫聖賢言行、大反俗情矣、   俗情者何、盗跖所云是也耳、其言曰、「人之情、   目欲色、耳欲声、口欲味、気欲盈、   人上寿百歳、中寿八十、下寿六十、除病痩死喪憂   患、其中開口而笑者、一月之中不四五日而   已矣、天与地無窮、人死者有時、操時之具、   而託於無窮之間、忽然無騏驥之過隙也、不   能其志意、養其寿命者、皆非道者也、   丘之所言、皆吾之所棄也、」此雖荘子之寓言、   今古貴賤上下之所心口相期者、不斯数語也、   而聖賢之道則反之、非礼勿視聴言動、而志気   常収乎内以不放、雖病痩死喪憂患之中、   以皆尽其心道矣、而未嘗為是累也、   而常人開口而笑者、莫淫戯放逸之事也、聖   賢遭之則決不笑、却有眉、以憂愁悲哀   者多矣、常人視天地無窮、視吾為暫、故   以欲於血気壮時務而已、而聖賢則不独視   天地無窮、視吾亦以為天地、故不身   之死、而恨心之死矣、心不死、則与天地   無窮、是故以一日百年、心凛乎如深   淵、不須臾放失也、故又嘗不物移志、不   以欲引寿、要去人欲天理而已矣、彼則去   天理人欲也、去天理人欲、是乃常人   之所期、則去人欲天理之教、安得   其耳与心哉、彼以耳与心、自揣之、則以聖   賢之教、必為人情、為人情、則其勢不   得吾曲与偽也、此乃曲学偽学之名、所   由起也歟、吁、非曲而為曲、非偽而為偽、曲   而為曲、偽而為偽、理欲倒置、是非逆為、   豈非悲哉、程朱抑乎一時、而伸乎万世、固   大矣、然其躬在後世、則亦何尊之哉、只其尊之   也、以死而不言也、如雖死、判理欲、正是非   如生前、厭之悪之、誰敢師尚之哉、何以知   之、君陳曰、「凡人未聖、若見、既見   聖、亦不聖、爾其戒哉、」夫不聖則仰慕   焉、見則不其教、非啻不其教、   必奔而避焉、故陽明子亦曰、「們拏一箇聖人   去、与人講学、人見聖人来、都怕走了、如何講   得行、」吾以此二語、知其不尚之也、而後   来以陽明子之学異学、其亦理勢之所免也、   奚足惑哉、


陳公輔。字は
国臣、政和三年
登第、諌官とな
り、礼部侍郎に
至る。文集二十
巻あり。其他何
若、王淮、陳賈
等皆当時の吏儒
にして朱子を誹
謗す。

程学。程伊川
の学。



高宗。南宋の
初主。







●唐仲友。字は
輔仁、宏詞科に
登第し説斎と号
す。朱子に快か
らず。







論語子罕篇に
見ゆ。



。犬と豚、
小人に喩ふ









盗跖云々。荘
子盗跖篇に出づ。













騏驥云々。駿
馬が戸の隙を駈
け通る如し。

丘。孔子の名。



















は鼻茎なり、
鼻の上に皺をよ
せ、両の眉をあ
つめて心配する
姿。






































理欲倒置。欲
を正とし、逆に
天理を曲とす。

其の躬云々。
程朱がもし現代
にをれば人々は、
矢張之を尊ばぬ
であらうとの意。





君陳。書経に
君陳篇あり。









伝習録黄省会
所録に見ゆ。拏
は引き捉へる意、
聖人を看板にし
て道を教へる態
度の非なるを説
く。



『洗心洞箚記』(本文)目次/その132/その134

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