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一六五 一学者陽明先生が良知を曰うて良能を曰はざ
せき
るの疑を起す者有り。吾れ乃ち之に謂うて曰く、昔
へんぱい
人嘗て亦た之が疑あり。曰く、「知行は偏廃せず、
わづか ●
纔に良知を致して則ち行なくぼ一辺にし了る」と。
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毛西河対へて曰く、「此れ陽明の言にあらず孟子の
言なり、孟子曰く、人の学ばずして能くする所のも
のは、其の良能なり。慮らずして知る所のものは、
其の良知なりと。良知に良能あり、何ぞ行無しと謂
た
はん」と。曰く、正に惟だ良知に良能あり、而て専
ら良知を言ふは可なるやと。曰く、然らば則ち子は
がいてい おや
孟子を読まず。孟子又た曰く、孩提の童も其の親を
愛するを知らざるは無きなり。其の長ずるに及びて
や、其の兄を敬するを知らざるは無きなりと。孟子
のう のう
何ぞ嘗て良能を言はんや。孟子能を言はず、而て能
ち
其の中に在り。何ぞや、愛敬を知るは知なり、愛敬
のう のう のう
は即ち能なり。陽明能を言はず、而て能其の中に在
のう
り。何ぞや、良知は知なり、良知を致すは即ち能な
し
り。然らば則ち陽明の言は孟子の言なり。子は西河
の言を以つて、宜しく良能は即ち良知を致す中に在
と
るを知つて其の疑を釈くべし。且つ吾れ亦た説あり。
●そつ
曰く、孟子の卒章に羣聖を挙ぐ。只だ見て之を知り、
聞いて之を知ると曰ひ、未だ嘗て見て之を知り而て
之を行ひ、聞いて之を知り而て之を行ふと曰はざる
なり。何となれば、聖人の心は即ち赤子の心なり。
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故に其の知は孩提が愛敬を知ると一般なり。故に五
ち
常百行は、乃ち其の一知中に在り、而て一知は五常
へいくわつ
百行を并括し了る。是を以て知を曰うて而て行を曰
も
はず、子猶之を良能を漏らすと謂ふや。鳴呼、学者
●
は聖人を学ぶなり、下学と雖も志斯の一知に在らざ
るべからざるのみ。
一学者有 起 下於陽明先生曰 良知 不 曰 良能
之疑 者 、吾乃謂 之曰、昔人嘗亦有 之疑 、曰、
「知行不 偏廃 、纔致 良知 則無 行一辺了」、
毛西河対曰、「此非 陽明之言 、孟子之言也、孟
子曰、人之所 不 学而能 者、其良能也、所 不
慮而知 者、其良知也、良知有 良能 、何謂 無
行、」曰、「正惟良知有 良能 、而専言 良知 可
乎、」曰、「然則子不 読 孟子 矣、孟子又曰、
孩提之童、無 不 知 愛 其親 也、及 其長 也、
無 不 知 敬 其兄 也、孟子何嘗言 良能 乎、孟
子不 言 能、而能在 其中 、何也、知 愛敬 知也、
愛敬即能也、陽明不 言 能、而能在 其中 、何也、
良知知也、致 良知 即能也、然則陽明之言、孟子
之言矣、」子以 西河之言 、宜 知 良能即在 致
良知 中 、而釈 其疑 、且吾亦有 説曰、孟子卒
章挙 羣聖 、只曰 見而知 之、聞而知 之、未 嘗
曰 見而知 之而行 之、聞而知 之而行 之也、何
者、聖人之心、即赤子之心矣、故其知与 孩提知
愛敬 一般、故五常百行、乃在 其一知中 、而一知
并 括五常百行 了、是以曰 知而不 曰 行、子猶
謂 之漏 良能 乎、鳴呼、学者学 聖人 也、雖 下
学 不 可 不 志在 於斯一知 也已矣、
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●良知云々。孟
子尽心上篇に良
知良能の言あり。
●一辺了。一方
面に落ちて仕舞
ふ。
●毛西河。名は
奇齢。清の康煕
中博学鴻儒に挙
げらる、学者西
河先生と称す、
著書多し。
●卒章。孟子七
巻の最後の章。
●五常。仁義礼
智信。
●下学。論語憲
問篇に「下学し
て上達す」とあ
り。
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