山田準『洗心洞箚記』(本文)136 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.14

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その136

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

             一六五 一学者陽明先生が良知を曰うて良能を曰はざ                        せき  るの疑を起す者有り。吾れ乃ち之に謂うて曰く、昔                    へんぱい  人嘗て亦た之が疑あり。曰く、「知行は偏廃せず、 わづか               纔に良知を致して則ち行なくぼ一辺にし了る」と。    毛西河対へて曰く、「此れ陽明の言にあらず孟子の  言なり、孟子曰く、人の学ばずして能くする所のも  のは、其の良能なり。慮らずして知る所のものは、  其の良知なりと。良知に良能あり、何ぞ行無しと謂              はん」と。曰く、正に惟だ良知に良能あり、而て専  ら良知を言ふは可なるやと。曰く、然らば則ち子は                がいてい         おや  孟子を読まず。孟子又た曰く、孩提の童も其の親を  愛するを知らざるは無きなり。其の長ずるに及びて  や、其の兄を敬するを知らざるは無きなりと。孟子                のう            のう  何ぞ嘗て良能を言はんや。孟子能を言はず、而て能                     其の中に在り。何ぞや、愛敬を知るは知なり、愛敬     のう         のう             のう  は即ち能なり。陽明能を言はず、而て能其の中に在                       のう  り。何ぞや、良知は知なり、良知を致すは即ち能な                       り。然らば則ち陽明の言は孟子の言なり。子は西河  の言を以つて、宜しく良能は即ち良知を致す中に在             るを知つて其の疑を釈くべし。且つ吾れ亦た説あり。        そつ  曰く、孟子の卒章に羣聖を挙ぐ。只だ見て之を知り、  聞いて之を知ると曰ひ、未だ嘗て見て之を知り而て  之を行ひ、聞いて之を知り而て之を行ふと曰はざる  なり。何となれば、聖人の心は即ち赤子の心なり。                          故に其の知は孩提が愛敬を知ると一般なり。故に五              常百行は、乃ち其の一知中に在り、而て一知は五常     へいくわつ  百行を并括し了る。是を以て知を曰うて而て行を曰              はず、子猶之を良能を漏らすと謂ふや。鳴呼、学者             は聖人を学ぶなり、下学と雖も志斯の一知に在らざ  るべからざるのみ。   一学者有下於陽明先生曰良知良能   之疑、吾乃謂之曰、昔人嘗亦有之疑、曰、   「知行不偏廃、纔致良知則無行一辺了」、   毛西河対曰、「此非陽明之言、孟子之言也、孟   子曰、人之所学而能者、其良能也、所   慮而知者、其良知也、良知有良能、何謂   行、」曰、「正惟良知有良能、而専言良知可   乎、」曰、「然則子不孟子矣、孟子又曰、   孩提之童、無其親也、及其長也、   無其兄也、孟子何嘗言良能乎、孟   子不能、而能在其中、何也、知愛敬知也、   愛敬即能也、陽明不能、而能在其中、何也、   良知知也、致良知即能也、然則陽明之言、孟子   之言矣、」子以西河之言、宜良能即在   良知、而釈其疑、且吾亦有説曰、孟子卒   章挙羣聖、只曰見而知之、聞而知之、未嘗   曰見而知之而行之、聞而知之而行之也、何   者、聖人之心、即赤子之心矣、故其知与孩提知   愛敬一般、故五常百行、乃在其一知中、而一知   并括五常百行了、是以曰知而不行、子猶   謂之漏良能乎、鳴呼、学者学聖人也、雖下   学志在於斯一知也已矣、



良知云々。孟
子尽心上篇に良
知良能の言あり。


一辺了。一方
面に落ちて仕舞
ふ。

毛西河。名は
奇齢。清の康煕
中博学鴻儒に挙
げらる、学者西
河先生と称す、
著書多し。


























卒章。孟子七
巻の最後の章。







五常。仁義礼
智信。







下学。論語憲
問篇に「下学し
て上達す」とあ
り。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その135/その137

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ