山田準『洗心洞箚記』(本文)135 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.3

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大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その135

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                 一六四 或問うて曰く、陽明先生曰く。「朱子の後、  ●             ●ごさうろ         こゝ  真西山・許魯斎・呉草廬の如きは、皆亦た此に見る                        あり。而て草廬之を見ること尤も真に、之を悔ゆる            びろく  こと尤も切なり。今備録する能はず、草廬の一説を         取つて後に附すと云ふ」と。而て乃ち伝習録に載せ                じゆくえつ  らる。故に呉子の説は則ち既に熟閲し、而て其の言   きんせつ  の緊切なるを知る。彼の二子の如きは、則ち未だ其   かうがい               こた  の梗概を見ず。請ひ問ふ、何如と。吾れ対へて曰く、  しん       真子曰く、「良とは本然の善を謂ふなり。善は性に         出づ、故に本然の能は、学ぶを待たずして能くし、        おもんばか  本然の知は、慮るを待たずして而て知るあり。人の        おや  あい       けい  幼にして而て親を愛し、長じて兄を敬するを観れば         しん  した  則ち知るべし。親を親しむの心、之を天下に達すれ  ば、即ち謂はゆる仁なり。長を敬するの心、之を天  下に達すれば、即ち謂ゆる義なり。然らば則ち仁義    かうてい          は豈孝悌の外に出でんや。斯の理や、孟子葢し屡々  之を言へり。其の天下後世の為めに慮る者切なり」    きよ              と。許子曰く、「聖人は是れ人心固有の良知良能の       かれ ふ ち   も  さ      かく  上に因り、他を扶持し将ち去る。人心本と此の如き       おや        あい  意思あり。親を愛し兄を敬し、藹然たる四端、感ず       あら          た        すゐくわく  るに随つて見はる。聖人は只だ是れ与めに発達推拡    かれ も     てき    りやう        し、他の元と有る的の本領の上に就て進み将ち去る。         も      てき  も     し  あんばい   かれ  是れ人心の上元と無き的を将つて強ひて安排して他                        に与ふるにあらず。後世は却つて良知良能を将つて  すべ たくさう             てき  都て喪し了り、却つて人性元と無き的を将つて、              てう  強ひて安排栽培し去ること、彫虫の小技の如し。此                 くわいきやく  を以て学校廃壊し、天下の人材を壌却す。官と做り  去るに及びては、世事人情に於て殊に遠近を知らず、                   ごと  何ものか天理民彜為るを知らず。此の似くば民何に     かう                  由つて 方を知らん、如何ぞ風俗を養ひ得成さん。  かれ        も  かつ       他は風化人倫に於て本と曾て学ばず。他が家の本性      やぶ  已に自ら壊れ了る、如何ぞ人を化し得ん」と。此の  二條は二子の良知良能を説くの言にして、而て能く                 いん  之を観れば則ち外求の悔、言表に隠然たり。而て学    もんがく  者の問学する所以は、仁と義とにあらざるか。真子  何とか謂へる。即ち曰く、仁義豈孝悌の外に出でん  やと。故に孝悌を外にして而て仁義を謂はば、則ち    覇道にして、堯舜孔孟の学にあらざること断じて知  るべし。殊に真子斯の理やの一言は、上の孝悌仁義                きは  を指して言ふ。然らば則ち理を窮むと云ふも、亦た  心の理を窮むるのみ。而て許子の云ふ所も亦た明確  なり。言ふ聖人の教は、固有の良知良能を推拡せし           たくさう           てう  むるのみ。もし之を喪して以て問学せば、則ち彫  ちう              やぶ  虫の小技にして、学校是に於てか壊れ、官路是に於              かう  てか乱れ、民人具に於てか方を知らず、風俗是に               於てか養ひ得る能はずと爾か云ふ。是れに由つて之              がくへい  を観れば、則ち二子は尤も学弊を悔い、而て之を本         おほ  心に求むるの意掩ふべからざるなり。是れ陽明先生  の三子皆比に見るありと曰ふ所以なり。問ふ者曰く、  せきぎしやくぜん  積疑釈然たりと。   或問曰、陽明先生曰、「朱子之後、如真西山許   魯斎呉草廬皆亦有於此、而草廬見之尤真、   悔之尤切、今不備録草廬一説於後   云、」而乃載於伝習録、故呉子之説則既熟閲焉、   而知其言之緊切矣、如彼二子、則未其梗   概、請問、何如、吾対曰、真子曰、「良謂本然   之善也、善出於性、故有本然之能、不学   而能、本然之知、不慮而知、観人之幼而愛   親、長而敬兄則可知矣、親親之心、達之天下、   即所謂仁、敬長之心、達之天下、即所謂義、   然則仁義豈出於孝悌之外哉、斯理也、孟子葢屡   言之、其為天下後世慮者切矣、」許子曰、「聖   人是因人心固有良知良能上、扶持将去他、人   心本有此意思、愛親敬兄、藹然四端、随   感而見、聖人只是与発達推拡、就他元有的本領上   進将去、不是将人心上元無的強安排与他、後   世却将良知良能喪了、却将人性元無的強   去安排栽培、如彫虫小技、以此学校廃壊、壊   却天下人才、及官、於世事人情殊不   遠近、不何者為天理民彜、似此民何由知   、如何養得成風俗、他於風化人倫、本不   曾学、他家本性已自壊了、如何化得人、」此二   條、二子説良知良能之言、而能観之、則外求之   悔、隠然乎言表矣、而学者之所以問学、非仁   与義乎、真子謂何、即曰、仁義豈出於孝悌之外   哉、故外孝悌而謂仁義則覇道、而非堯舜孔孟   之学、断可知矣、殊真子斯理也之一言、指上孝   悌仁義言、然則窮理云、亦窮心之理而已矣、而   許子所云亦明確矣、言聖人之教、令拡固有之   良知良能焉耳、如喪之以問学、則彫虫小技、   学校於是乎壊、官路於是乎乱、民人於是乎不   、風俗於是乎不養得爾、由是観之、   則二子尤悔学弊而求之本心之意不掩也、是   所以陽明先生曰三子皆有于此也、問者曰、積   疑釈然、


先生曰。此の
語、伝習録巻尾
に見ゆ、其次に
呉子の説を載
す。

真西山、許魯
斎。前に出づ呉草廬。名は
澄、字は幼清、
元初の大儒、居
る所草屋敷椽、
草廬先生と称す、
其学徳性を宗と
し、陸象山に私
淑す。

良。良知の良、
本然は本来のま
ま、即ち天性。

本然の能云々。
孟子尽心上篇に
良知良能の説あ
り。








扶持云々。扶
持はたすけ導く、
将ち去るは俗語、
もつて行くの意。

藹然四端。孟
子公孫丑上篇に
四端章あり惻隠
は仁の端、羞悪
は義の端、辞譲
は礼の端、是非
は智の端といふ、
藹然は和ぎ豊盛
の意。

元有云々。四
端は本来具有す、
的は俗語に常用
す、此の場合
「もの」といふ
如し。

安排。手加減
して作り出す。

喪。削り亡
ぼす。

彫虫小技。小
細工、前出天理民彜。宇
宙の理法と人民
の倫常の道。

他が家。自家。

外求の悔。心
を遺し、事物の
外に向つて学修
する後悔。






























釈然。がらり
と諒解す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その134/その136

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