人 ●
一六四 或問うて曰く、陽明先生曰く。「朱子の後、
● ●ごさうろ こゝ
真西山・許魯斎・呉草廬の如きは、皆亦た此に見る
く
あり。而て草廬之を見ること尤も真に、之を悔ゆる
びろく
こと尤も切なり。今備録する能はず、草廬の一説を
ふ
取つて後に附すと云ふ」と。而て乃ち伝習録に載せ
じゆくえつ
らる。故に呉子の説は則ち既に熟閲し、而て其の言
きんせつ
の緊切なるを知る。彼の二子の如きは、則ち未だ其
かうがい こた
の梗概を見ず。請ひ問ふ、何如と。吾れ対へて曰く、
しん ●
真子曰く、「良とは本然の善を謂ふなり。善は性に
●
出づ、故に本然の能は、学ぶを待たずして能くし、
おもんばか
本然の知は、慮るを待たずして而て知るあり。人の
おや あい けい
幼にして而て親を愛し、長じて兄を敬するを観れば
しん した
則ち知るべし。親を親しむの心、之を天下に達すれ
ば、即ち謂はゆる仁なり。長を敬するの心、之を天
下に達すれば、即ち謂ゆる義なり。然らば則ち仁義
かうてい こ
は豈孝悌の外に出でんや。斯の理や、孟子葢し屡々
之を言へり。其の天下後世の為めに慮る者切なり」
きよ こ
と。許子曰く、「聖人は是れ人心固有の良知良能の
かれ ●ふ ち も さ かく
上に因り、他を扶持し将ち去る。人心本と此の如き
おや ●あい
意思あり。親を愛し兄を敬し、藹然たる四端、感ず
あら た すゐくわく
るに随つて見はる。聖人は只だ是れ与めに発達推拡
かれ ●も てき りやう も
し、他の元と有る的の本領の上に就て進み将ち去る。
も てき も し ●あんばい かれ
是れ人心の上元と無き的を将つて強ひて安排して他
も
に与ふるにあらず。後世は却つて良知良能を将つて
すべ ●たくさう てき
都て 喪し了り、却つて人性元と無き的を将つて、
し ●てう
強ひて安排栽培し去ること、彫虫の小技の如し。此
くわいきやく
を以て学校廃壊し、天下の人材を壌却す。官と做り
去るに及びては、世事人情に於て殊に遠近を知らず、
● い ごと
何ものか天理民彜為るを知らず。此の似くば民何に
かう な
由つて 方を知らん、如何ぞ風俗を養ひ得成さん。
かれ も かつ ●
他は風化人倫に於て本と曾て学ばず。他が家の本性
やぶ
已に自ら壊れ了る、如何ぞ人を化し得ん」と。此の
二條は二子の良知良能を説くの言にして、而て能く
● いん
之を観れば則ち外求の悔、言表に隠然たり。而て学
もんがく
者の問学する所以は、仁と義とにあらざるか。真子
何とか謂へる。即ち曰く、仁義豈孝悌の外に出でん
やと。故に孝悌を外にして而て仁義を謂はば、則ち
は
覇道にして、堯舜孔孟の学にあらざること断じて知
るべし。殊に真子斯の理やの一言は、上の孝悌仁義
きは
を指して言ふ。然らば則ち理を窮むと云ふも、亦た
心の理を窮むるのみ。而て許子の云ふ所も亦た明確
なり。言ふ聖人の教は、固有の良知良能を推拡せし
たくさう てう
むるのみ。もし之を 喪して以て問学せば、則ち彫
ちう やぶ
虫の小技にして、学校是に於てか壊れ、官路是に於
かう
てか乱れ、民人具に於てか 方を知らず、風俗是に
し
於てか養ひ得る能はずと爾か云ふ。是れに由つて之
がくへい
を観れば、則ち二子は尤も学弊を悔い、而て之を本
おほ
心に求むるの意掩ふべからざるなり。是れ陽明先生
の三子皆比に見るありと曰ふ所以なり。問ふ者曰く、
せきぎ ●しやくぜん
積疑釈然たりと。
或問曰、陽明先生曰、「朱子之後、如 真西山許
魯斎呉草廬 皆亦有 見 於此 、而草廬見 之尤真、
悔 之尤切、今不 能 備録 取 草廬一説 附 於後
云、」而乃載 於伝習録 、故呉子之説則既熟閲焉、
而知 其言之緊切 矣、如 彼二子 、則未 見 其梗
概 、請問、何如、吾対曰、真子曰、「良謂 本然
之善 也、善出 於性 、故有 本然之能、不 待 学
而能、本然之知、不 待 慮而知 、観 人之幼而愛
親、長而敬 兄則可 知矣、親 親之心、達 之天下 、
即所 謂仁、敬 長之心、達 之天下 、即所 謂義、
然則仁義豈出 於孝悌之外 哉、斯理也、孟子葢屡
言 之、其為 天下後世 慮者切矣、」許子曰、「聖
人是因 人心固有良知良能上 、扶 持将去他 、人
心本有 如 此意思 、愛 親敬 兄、藹然四端、随
感而見、聖人只是与発達推拡、就 他元有的本領上
進将去、不 是将 人心上元無的 強安排与 他、後
世却将 良知良能 都 喪了、却将 人性元無的 強
去 安排栽培 、如 彫虫小技 、以 此学校廃壊、壊
却天下人才 、及 去 做 官、於 世事人情 殊不 知
遠近 、不 知 何者為 天理民彜 、似 此民何由知
方 、如何養 得成風俗 、他於 風化人倫 、本不
曾学 、他家本性已自壊了、如何化 得人 、」此二
條、二子説 良知良能 之言、而能観 之、則外求之
悔、隠 然乎言表 矣、而学者之所 以問学 、非 仁
与 義乎、真子謂 何、即曰、仁義豈出 於孝悌之外
哉、故外 孝悌 而謂 仁義 則覇道、而非 堯舜孔孟
之学 、断可 知矣、殊真子斯理也之一言、指 上孝
悌仁義 言、然則窮 理云、亦窮 心之理 而已矣、而
許子所 云亦明確矣、言聖人之教、令 推 拡固有之
良知良能 焉耳、如 喪之 以問学、則彫虫小技、
学校於 是乎壊、官路於 是乎乱、民人於 是乎不 知
方 、風俗於 是乎不 能 養得 云 爾、由 是観 之、
則二子尤悔 学弊 而求 之本心 之意不 可 掩也、是
所 以陽明先生曰 三子皆有 見 于此 也、問者曰、積
疑釈然、
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●先生曰。此の
語、伝習録巻尾
に見ゆ、其次に
呉子の説を載
す。
●真西山、許魯
斎。前に出づ。
●呉草廬。名は
澄、字は幼清、
元初の大儒、居
る所草屋敷椽、
草廬先生と称す、
其学徳性を宗と
し、陸象山に私
淑す。
●良。良知の良、
本然は本来のま
ま、即ち天性。
●本然の能云々。
孟子尽心上篇に
良知良能の説あ
り。
●扶持云々。扶
持はたすけ導く、
将ち去るは俗語、
もつて行くの意。
●藹然四端。孟
子公孫丑上篇に
四端章あり惻隠
は仁の端、羞悪
は義の端、辞譲
は礼の端、是非
は智の端といふ、
藹然は和ぎ豊盛
の意。
●元有云々。四
端は本来具有す、
的は俗語に常用
す、此の場合
「もの」といふ
如し。
●安排。手加減
して作り出す。
● 喪。削り亡
ぼす。
●彫虫小技。小
細工、前出。
●天理民彜。宇
宙の理法と人民
の倫常の道。
●他が家。自家。
●外求の悔。心
を遺し、事物の
外に向つて学修
する後悔。
●釈然。がらり
と諒解す。
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