●じやしやく べん せい
一六九 儒釈の弁、其の精に於ては、陽明先生の説尽
きぬ。而て伝習録に載せられ、吾が党の学人常に之
そ ● しやう
を覧観す、故に略す。其の粗に於ては張南軒先生詳
ろんめいせき
論明晰加ふる莫し。今其の語を録す。曰く、「酒の
●
物たる、以て祭祀に奉じ、賓客に供す。此れ即ち天
くだ
の命を降すなり。而て人は酒の故を以て、徳を失ひ
ほろ ● ゐ
身を喪ぼすに至る、即ち天の威を降すなり。釈氏本
にく へい
と天の威を降す者を悪み、乃ち天の命を降す者を併
よ
与して之を去る。吾が儒は則ち然らず、其の威を降
す者を去るのみ。威を降す者去つて、而て命を降す
● ぼうてん
者自ら在り。飲食して天物を暴殄するに至る如き、
●そじよ
釈氏は之を悪み、必ず疏茹を食はんと欲す。吾が儒
てん しやし
は則ち暴殄に至らざるのみ。衣服にして奢侈を窮極
●くわい き
するに至る、釈氏之を悪み、必ず壊色の装を衣んと
いんとく
欲す。吾が儒は則ち其の奢侈を去るのみ。淫匿を悪
みて夫婦を絶つに至る。吾が儒は則ち其の淫匿を去
るのみ。釈氏は本と人欲を悪み、天理の公なる者を
へいよ
併与して之を去る。吾が儒は人欲を去る、謂ゆる天
せう
理なるものは照然たり。譬へば水の如し。釈氏は其
だく ふさ
の泥沙の濁を悪み、而て之を窒ぐに土を以てす。土
よく窒けば、則ち水飲むべきなきを知らず。吾が儒
す
は則ち然らず、其の泥沙を澄ます、而て水の清きも
く たくぷく
の酌むべし。これ儒釈の分なり」と。朱子之を嘆服
ちやくじつ
せり。是の故に儒者威を降す者を去るの工著実なら
げん みだ
ず、而て釈氏之を悪めるの原を察せず、只だ浸りに
いたん へん
異端を以て釈氏を貶せば、則ち釈氏必ず儒を目する
●ゑだく せいけんけんでん
穢濁を以てせん。是を以て聖経賢伝、字字句句、只
だ人欲を去るの事を以て後人に告ぐるのみ。後人之
ゆるが
を忽せにするは何ぞや。故に吾が輩晩年末路は、乃
やゝ ●こうりつ しか
ち釈氏の如くし、而て稍聖賢の 率に入れり。否ら
わきでき
ざれば則ち多くは其の惑溺する所と為り、而て立つ
はいだつゐくわい よう
る所の志、勉むる所の功、廃堕墜壊し、而て終に庸
じよう したが
常にこれ帰することをなさん。故に南軒の説に遵ひ、
なづ しべん はいつゐ
而て又た泥みて志勉を廃墜する勿くんば、則ち善く
学ぶと謂ふべきのみ。
儒釈之弁、於 其精 也、陽明先生之説尽矣、而載
於伝習録 、吾党之学人常覧 観之 、故略焉、於
其粗 也、張南軒先生詳論明晰莫 加焉、今録 其
語 、曰、「酒之為 物、以奉 祭祀 供 賓客 、此即
天之降 命也、而人以 酒之故 、至 於失 徳喪 身、
即天之降 威也、釈氏本悪 天之降 威者 、乃併 与
天之降 命者 去 之、吾儒則不 然、去 其降 威者
而已、降 威者去、而降 命者自在、如 飲食而至
於暴 殄天物 、釈氏悪 之、必欲 食 蔬茹 、吾儒則
不 至 於暴殄 而已、衣服而至 於窮 極奢侈 、釈氏
悪 之、必欲 衣 壊色之装 、吾儒則去 其奢侈 而已、
至 於悪 淫慝 而絶 夫婦 、吾儒則去 其淫慝 而已、
釈氏本悪 人欲 、併 与天理之公者 去 之、吾儒去
人欲 、所 謂天理者照然矣、譬如 水焉、釈氏悪 其
泥之沙之濁 、而窒 之以 土、不 知 土能窒、則無
水可 飲矣、吾儒則不 然、澄 其泥沙 、而水之清者
可 酌、此儒釈之分也」、朱子嘆 服之 、是故儒者
去 降 威者 之工不 著実 、而不 察 釈氏悪 之之
原 、只漫以 異端 貶 釈氏 、則釈氏必目 儒以 穢
濁 、是以聖経賢伝。字字句句、以 只去 人欲 之事
告 後人 焉耳、後人忽 之何哉、故吾輩晩年末路、乃
如 釈氏 、而稍入 聖賢之 率 矣、否則多為 其所
惑溺 、而所 立之志、所 勉之功、廃堕墜壊、而終為
庸常之帰 、故遵 南軒之説 、而又勿 泥焉廃 墜志勉 、
則可 謂 善学 也已矣、
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●儒釈の弁云々。
儒教と仏教との
弁別。
●張南軒先生。宋
の学者張 、南軒
と号す、朱子之
を敬重す。
●天が恩命を降
す。
●詩経大雅に
「天の威を降す」
とあり、刑罰を
降すなり。
●天物なる酒を
飲み荒らして悪
用す。
●疏茹。野菜大
根、即ち精進す
るの意。
●壊色。墨染の
衣。
●穢濁。けがれ
たもの。
● 率。孟子尽
心篇に「 は拙
射のために 率
を変ぜず」とあ
り、矢ごろの程
限標準を云ふ。
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