山田準『洗心洞箚記』(本文)141 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.5.15

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『洗心洞箚記』 (本文)

その141

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                そうせき 一七〇 孔門の四子志を言ふの意、曾皙は実行未だ至  らずと雖も、而て気象識見倶に高し。早く既に聖人        うかゞ        の心体の虚を窺ひ得たること、顔子と一般にして、                ぼしゆん  諸子の比にあらざるなり。故に暮春に春服成るの答                       あり。是れ乃ち夫子の志なり。夫子其の位に素して  而て行ひ、其の外を願はず。然れども其の任に当り、               べん  其の職に居れば、則ち何事か弁ぜざらん、何の政か           い り じようでん いや  治まらざらん。故に委吏乗田の賤しきより、侯伯帝           すべ りうなん  王の貴きに至る迄、都て留難なし。之を明鏡に譬へ           じゆんおう         けんし  んに、物来れば則ち順応し、其の大小妍、一も照                  だん  らさざるなし。物去れば則ち只だ一団の虚明のみ。          きよくたうつと           や  是の故に其の変通曲当彊むることなく息むことなし、                  いひつ しやう  天と同一なり。夫の三子の如きは、猶意必の障あり、                     くわきじんぶつ  故に心虚にあらず。譬へば鏡面に於て先づ花卉人物         ねんちやく をは      たぶつ  を画き、丹青既に黏著し了れば、他物外より来ると       ぜんせう           しりよ ききん  雖も、之を全照する能はざる如し。故に師旅饑饉は、              子路心上の丹青なり。六七十五六十は、冉有心上の         丹青なり。宗廟会同は、公西華心上の丹青なり。三  子の此れを能くして、而て彼れに通ずる能はず。彼  れを能くして、而て此れに通ずる能はざるは、此れ                   を以てなり。然れども三子の器用微くば、則ち孔門        ちか       そうせき びげん な  の教、老仏に庶し。而て曾皙の微言微くば、則ち夫      くわんあん まぎら  子の志、管晏に嫌はし。之を要するに吾が輩志を曾  皙の言へる所に持し、而て三子の器用に従事せば、    こひねがは    へん  則ち庶幾くば一偏に陥るの書を免れんか。   孔門四予言志之意、曾皙雖実行未至焉、而気   象識見倶高矣、早既窺得聖人心体之虚、与顔   子一般、非諸子之比也、故有暮春者春服成   之答、是乃夫子之志也、夫子素其位而行、不   願乎其外、然当其任、居其職、則何事不   弁、何政不治、故自委吏乗田之賤、至侯伯帝   王之貴、都無留難、譬之明鏡、物来則順応、   其大小妍、無一不照、物去則只一団虚明而已   耳。是政其変通曲当、無彊無息、与天同一焉也、   如夫三子、猶有意必之障、放心非虚、譬如   於鏡面先画花卉人物、丹青既黏著了、雖地物   自外来、不照之、故師旅饑饉、子路心   上之丹青也、六七十五六十、冉有心上之丹青也、   宗廟会同、公西華心上之丹青也、三子之能乎此、   而不乎彼、能乎彼、而不乎此、   以此也、然微三子之器用、則孔門之教、庶乎   老仏、而微曾皙之微言、則夫子之志、嫌乎管   晏矣、要之吾輩持志於曾皙之所言、而従事   三子之器用、則庶幾免於陥一偏之害矣乎、

孔門四子云々。
論語先進篇に、
子路・曾皙・冉
有・公西華侍坐
せし時孔子各々
其の志を言はし
めし條あり、曾
皙は、暮春春服
成る頃沂に浴し
詠じて帰る云々
というて、孔子
に共鳴さる。
顔子。論語先
進篇に、「子曰
く回や庶いか
屡々空し」とあ
り、空を心の虚
空と見て、顔子
は聖人心体の虚
を見るとす。
其位に素す。
現在の位にもと
づいて行ふ、中
庸に見ゆ。
委吏。会計吏。
乗田。牧畜吏。
留難。何一つ
むつかしいとて
留め置くものな
し。

意必。論語子
罕篇に「子、四
を絶つ、意なし、
必なし、固なし、
我なし」とあり。
丹青。絵の具。
師旅。子路の
答語。
六七十。冉有
の答語。
宗廟。公西華
の答語。



微言。漢書芸
文志に「仲尼沒
して微言絶ゆ」
とあり、微妙の
言。

管晏。管仲、
前出、晏子名は
嬰、斉景公の相
となつて富強の
政を行ふ。


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