● つか
一七二 吾が輩書を束ねて之を見ず。之を見ると雖も
くわ しんとく
一過して而て忘れ了る。況や心得躬行に於てをや、
いづく およ ●じよていけい
又安んぞ古人に逮ばんや。徐禎卿家に一書を蓄へず、
●
而て通せざる所なし。二十三にして死す、而て名・
しりん ●やうじゆんきつ ろ しけい
士林に満てり。楊循吉・三十有一、而て蘆を支y山
さう そく ●しんせん
下に結び、父母の葬を治め、墓側に寝苫す。詔あり
そ は ● そん
て直言を求むる時に当つて、疏を馳せて建文帝の尊
がう ふく
号を復せんことを謂へり。此の二子文人にして儒者
びん ふ
にあらずと雖も、其の書に通ずるの敏、道を履むの
もはん べつし
正、人の模範と為る。必ず蔑視する勿れ。吾が交は
な
る所の人にして、徐に類する者あり、今は則ち亡し。
あ
而て楊に比すべき者は、未だ其の人に遇はざるなる
かな。
吾輩束書不見之、雖見之一過而忘了、況於
心得躬行、又安逮古人、徐禎卿家不蓄一書、
而無所不通、二十三而死、而名満士林、楊
循吉三十有一、而結蘆支y山下、治父母葬、
寝苫墓側、当詔求直言時、馳疏謂復建文
帝尊号、此二子雖文人而非儒者、其道書之敏、
履道之正、為人模範矣、必勿蔑視焉、吾所
交之人、有類於徐者、今也則亡、而比楊者、
未遇其人也夫、
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●束書。書物を
高閣に束ぬ。
●徐禎卿。明の
弘治中の道士。
国子博士たり。
詩に長ず。
●二十三。一説
に三十三ともい
ふ。
●楊循吉。明の
成化中の道士。
詩文に長ず、多
病にして早く官
を退く寿八十九。
●寝苫。苫の上
に寝る。喪に居
る時の礼。
●建文帝。明の
第二代の天子。
成祖叔父を以て
簒立す。 |