山田準『洗心洞箚記』(本文)147 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.6.2

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その147

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                し し     い  つく 一七六 鳴呼、孔子の気象徳容は、子思之を道ひ尽せ                  せい         そう  り。其の言に曰く、「唯だ天下の至聖のみ、能く聡  めいえいち           かんゆうおんじゆう     い  明睿知、以て臨むあるに足り、寛裕温柔、以て容る                 と             さい  る有るに足り、発強剛毅、以て執る有るに足り、斉  さうちゆうせい    けい        ぶんりみつさつ  荘中正、以て敬する有るに足り、文理密察以て別つ            ふはくえんせん  あるに足ると為す。溥博淵泉、而て時に之を出だす」  と。其の門弟子の如きは、則ち之を兼ぬる能はず、                     而て只だ一を主とす。一を主とす故に器なり。一を  主とせずして溥博淵泉、而て時に之を出だせば、則  ち太虚と体を同じうするものか。故に孔子は即ち器                    まさ  ならざるなり。即ち天なり。其の堯舜に賢れるもの、          のこ  豈但だ文字を万世に胎せるのみならんや。   鳴呼。孔子之気象徳容、子思道尽之矣、其言曰、   「唯天下至聖、為能聡明睿知、足以有臨也、寛   裕温柔。足以有容也、発強剛毅、足以有執也、   斉荘中正、足以有敬也、文理密察、足以有別   也、溥博淵泉、而時出之、」如其門弟子、則   不之、而只主一、主一故器矣、不一   而溥博淵泉、而時出之、則与太虚体者矣乎、   故孔子即不器也、即天也、其賢於堯舜、豈但文   字胎於万世而已哉、



子思。名は、
孔子の嫡孫、中
庸を著はす。

以下中庸に出
で、子思が天下
至誠の徳を表し
て、孔子を賛す、
就て領得すべし。





器。論語為政
篇に「君子器な
らず」とあり、
器は一枝に長ず
るを謂ふ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その146/その148

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ