山田準『洗心洞箚記』(本文)149 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.6.6

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大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その149

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

一七八 天下の目ある者は、白を以て白と為し、赤を         しか     うま  以て赤と為し、鹿を視て馬と為さず、馬を視て鹿と  為さず。耳ある者は、清を以て清と為し、濁を以て       ふえ       こと  濁と為し、笛を聴いて瑟と為さず、瑟を聴いて笛と  為さず。口鼻に於ても皆亦た然り。此れ何ぞ嘗て聖  人と異ならんや。而て天下の心ある者は、孝の為す                       てい  べく、而て不孝の為すべからざるを知るなり。悌の  為すべく、而て不悌の為すべからざるを知るなり。  忠と義との為すべく、而て不忠と不義との為すべか  らざるを知るなり。万善万悪も皆亦た然り。是れ又  た何ぞ嘗て聖人と異ならんや。故に中庸に曰く、  「夫婦の愚も以て与かり知るべし、夫婦の不肖も以                    て能く行ふべし」と。然れども其の気を養ひ性を尽  すの真修無き者は、則ち危懼すべきの事に臨み、喜  楽すべきの物に接すれば、乃ち耳日之が為に昏乱し、            うしな          し ゐ  而て心も亦た其の明を喪はん。是に於て視聴と思惟      てんたう  と、一時顛倒し了る。故に白を以て白と為し、赤を  以て赤と為さず、而て鹿を馬と為し、馬を鹿と為し、  清を以て清と為し、濁を以て濁と為さず、而て笛を  瑟と為し、瑟を笛と為し、而て孝敢て為さず、不孝  敢て為し、悌敢て為さず、不悌敢て為し、忠と義と  敢て為さず、不忠と不義と敢て為すに至るなり。視               せうじやう  聴思惟、終に聖人と相反する霄壤の如し。今一事を         けん   てうかう  提げて以て之を験せん。趙高乱を為さんと欲し、羣  臣の聴かざるを恐る。乃ち先づ験を設け、鹿を持し      けん  て二世に献じて曰く、馬なりと。二世笑つて曰く、 じやうしやう  丞相誤れるか。鹿を謂うて馬と為すと。左右に問ふ                     あじゆん  に、或は黙し、或は馬と言ひ、以て趙高に阿順す。                いん  或は鹿と言ふ者あり、高因つて陰に諸々の鹿と言ひ       し者に中つるに法を以てす。後ち羣臣皆高を恐る。  夫れ事物の心目を移す、此に於て見るべし。若し聖  人にして此の事に処すれば、則ち平生と亦た奚ぞ異                 あざむ           人  ならん。只鹿と謂うて君と心とを欺かざるのみ。或  曰く、彼の羣臣未だ必ずしも皆馬と言はず。或は黙           たゞ  するものあり、或は径ちに鹿と言うて君と心とを欺  かざる者あり。而て其の君と心とを欺かざる者に在  つては、則ち趙高陰に之に中つるに法を以てす。法                     たゞ  を以てすれば則ち必ず殺さる。聖人と雖も径ちに鹿  と言はば、乃ち彼と同じく殺されんか。曰く、夫れ                  黙する者は、馬と言ふ者と特に五十歩百歩の間のみ。  深く弁ずるに足らず。鹿と言うて殺されし者に至つ                    まどひ  ては、弁ずるあらざれば、則ち誰か其の惑を解かん                             や。吾れ請ふ、又た之を説かん。趙高の君を無みす                いづれ     る、魯の三子の君を無みすると孰与ぞや。陳恒其の              もくよく  君を弑するに当つて、孔子沐浴して君に朝して曰く、        しい               陳恒其の君を弑せり、謂ふ之を討たんと。君可かざ                       るに因つて、又た三子に之いて告ぐ。三子可かずと  雖も、然れども孔子を害する能はず。却つて孔子の                  せうそ  告に因つて其の君を無みするの心を消沮す。則ち孔                子斉を討つの事を遂げずと雖も、而も三子の心を誅     げん  する事厳なり。是れに由つて之を観れば、則ち孔子  の告は、一時に発する如しと雖も、其の平生独を慎  み心を欺かざるの工夫、少しの間断ある無し。故に                  そ し  其の浩然の気、天地の間に塞がる。蘇子の謂はゆる、  そつ      あ             しんそ  卒然之に遇へば、王公も其の貴を失ひ、晋楚も其の                ほんいく  富を失ひ、良平も其の智を失ひ、賁育も其の勇を失    ぎしん  ひ、儀秦も其の弁を失ふものなり、是の故に三子焉                   これ  んぞ其の害を施すを得んや。若し常人諸を三子に告  ぐれば、則ち陽に受けて陰に之を誅せん。又た猶趙  高の鹿と言ふ者を殺すごとく然らん。故に孔子をし   ろくば  て鹿馬の事に処せしむれば、径ちに鹿と言ふと雖も、  趙高独り之を害する能はざるのみならず、却つて其     をのゝ        の心を戦かして其の謀を沮せん、是れ決して余人の  及ぶ所にあらざるなり。夫れ径ちに鹿と言ふ者は、  固より黙する者の比にあらずと雖も、然れども特に     かうがい  一時の慷慨の意気に発するのみ、何ぞ平生独を慎み  心を欺かざること、聖人の如きの真修実功あらんや。  然らば則ち浩然の気、正大の心にあらざるなり。浩                  はづ  然の気、正大の心にあらずして人を辱かしむれば猶          さいしん     くぢ  禍を受く、況んや宰臣の言を挫くをや。宜なるかな、             いた  忠言を発して、而て陰禍臻れるや。故に誠に孝悌忠   さうそつてんはい  義を倉卒顛沛の間に尽さんと欲する者は、居常戒慎          恐懼し、而て理と気と合一することを為さざるべか  らざるなり。理と気と合一することを為さずして、    たま/\  而て適一時一事に発す。則ち身を殺すと雖も、君父  国家に益無し。而て天の我に与ふる所の良知良能は、                    しめつ  未だ尺寸の発露あらずして、而て身と減せん。豈  惜しむべきにあらざらんや。   天下之有目者、以白為白、以赤為赤、視鹿   不馬、視馬不鹿、有耳者、以清為清、   以濁為濁、聴笛不瑟、聴瑟不笛、於   口鼻皆亦然、此何嘗与聖人異也哉、而天下之   有心者、知孝之可為、而不孝之不為也、   知悌之可為、而不悌之不為也、知忠与義   之可為、而不忠与不義之不為也、万善万   悪皆亦然、是又何嘗与聖人異也哉、故中庸曰、   「夫掃之愚、可以与知焉、夫婦之不肖、可以   能行」焉、然其無気尽性之真修者、則臨   可危懼之事、接喜楽之物、乃耳目為之   昏乱、而心亦喪其明矣、於是視聴与思惟一   時顛倒了、故至於不白為白、以赤為赤、   而鹿為馬、馬為鹿、不清為清、以濁為   濁、而笛為瑟、瑟為笛、而孝不敢為、不孝敢   為、悌不敢為、不悌敢為、忠与義不敢為、不   忠与不義敢為也、視聴思惟、終与聖人相反   如霄壤矣、今提一事以験之、趙高欲乱、   恐羣臣不聴、乃先設験、持鹿献於二世曰、   馬也、二世笑曰、丞相誤耶、謂鹿為馬、間左   右、或黙、或言馬、以阿順趙高、或言鹿者、   高因陰中諸言鹿者法後羣臣皆恐高矣、夫   事物之移心目、於此可見矣、若聖人而処此   事、則与平生亦奚異、只謂鹿而不君与   心而己矣、或曰、彼羣臣未必皆言馬、或有黙   者焉、或有径言鹿而不君与心者焉、而   在其不君与心者、則趙高陰中之以法、   以法則必見殺矣、雖聖人径言鹿、乃与彼   同見殺矣耶、曰夫黙者与馬者、特五十歩   百歩間焉耳、不深弁、至鹿而見殺者、   不弁、則誰解其惑哉、吾謂又説之、趙高   之無君、孰与魯三子之無君、当陳恒弑其君   也、孔子沐浴朝於君曰、陳恒弑其君、謂討   之、因君不可、又之三子告焉、三子雖   可、然不孔子、却因孔子之告、消沮   其無君之心、則孔子雖斉之事、而   誅三子之心厳矣、由是観之、則孔子之告、   雖於一時、其平生慎独不心之工夫、   無少間断、故其浩然之気、塞乎天地之間、   蘇子之所謂、卒然遇之、王公失其貴、晋楚   失其富、良平失其智、賁育失其勇、儀秦   失其弁者也、是故三子焉得其害哉、若常   人告諸三子、則陽受而陰誅之、又猶趙高之   殺鹿者然、故使孔子処鹿馬之事、雖   径言鹿、趙高不独不之、却戦其心、   沮其謀矣、是決非余人所及也、夫径言鹿   者、雖固非黙者之比、然特発一時慷慨之意   気耳、何有平生慎独不心如聖人之真   修実功也哉、然則非浩然之気、正大之心也、   非浩然之気、正大之心、而辱人猶受禍、況   挫宰臣之言乎、宜哉忠言発、而陰禍臻焉、故   誠欲孝悌忠義於倉卒顛沛之間者、居常戒   慎恐懼、而不理与気合一也、不   為理与気合一、而適発於一時一事、則雖   殺身無於君父国家、而天之所我之良   知良能、未尺寸之発露、而与減矣、   豈非惜乎、


























気を養ふは孟
子浩然の気の章
に説き、性を尽
すは之を尽心篇
に説く。
















霄壤。天地の
相違。

趙高。秦の宦
官、二世皇帝を
愚にし、天下を
乱す。




阿順。おもね
り従ふ。





















五十歩云々。
戦に臨み五十歩
にして止ると百
歩にして止ると、
其の勇怯に格別
の相違なしとい
ふ、孟子に出づ。

三子。季孫子、
叔孫子、孟孫子
を魯の三桓とい
ふ、代々政を擅
らにして君を無
視す。

論語憲問篇に
出づ。











蘇子。蘇軾、
号は東坡、宋代
の文豪、留侯論
を作る、文章軌
範に出づ。以下
留侯張良を賛す
る語。

晋楚。戦国時
代の二大国。

良平。漢の高
祖の謀臣張良と
陳平。

賁育。古の猛
士、孟賁と夏育
を云ふ。

儀秦。戦国時
代の遊説家、張
儀と蘇秦を云ふ。

















陰禍。奸臣が
ひそかに加へる
罪禍。

倉卒。急な俄
かな場合。

顛沛。漂浪す
る如き艱難の時。

理気合一。正
義観念と勇気と
一致する。



は氷が解け
ること、良知良
能が身と倶に亡
んでなくなる。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その148/その150

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