一七八 天下の目ある者は、白を以て白と為し、赤を
しか うま
以て赤と為し、鹿を視て馬と為さず、馬を視て鹿と
為さず。耳ある者は、清を以て清と為し、濁を以て
ふえ こと
濁と為し、笛を聴いて瑟と為さず、瑟を聴いて笛と
為さず。口鼻に於ても皆亦た然り。此れ何ぞ嘗て聖
人と異ならんや。而て天下の心ある者は、孝の為す
てい
べく、而て不孝の為すべからざるを知るなり。悌の
為すべく、而て不悌の為すべからざるを知るなり。
忠と義との為すべく、而て不忠と不義との為すべか
らざるを知るなり。万善万悪も皆亦た然り。是れ又
た何ぞ嘗て聖人と異ならんや。故に中庸に曰く、
「夫婦の愚も以て与かり知るべし、夫婦の不肖も以
●
て能く行ふべし」と。然れども其の気を養ひ性を尽
すの真修無き者は、則ち危懼すべきの事に臨み、喜
楽すべきの物に接すれば、乃ち耳日之が為に昏乱し、
うしな し ゐ
而て心も亦た其の明を喪はん。是に於て視聴と思惟
てんたう
と、一時顛倒し了る。故に白を以て白と為し、赤を
以て赤と為さず、而て鹿を馬と為し、馬を鹿と為し、
清を以て清と為し、濁を以て濁と為さず、而て笛を
瑟と為し、瑟を笛と為し、而て孝敢て為さず、不孝
敢て為し、悌敢て為さず、不悌敢て為し、忠と義と
敢て為さず、不忠と不義と敢て為すに至るなり。視
●せうじやう
聴思惟、終に聖人と相反する霄壤の如し。今一事を
けん ●てうかう
提げて以て之を験せん。趙高乱を為さんと欲し、羣
臣の聴かざるを恐る。乃ち先づ験を設け、鹿を持し
けん
て二世に献じて曰く、馬なりと。二世笑つて曰く、
じやうしやう
丞相誤れるか。鹿を謂うて馬と為すと。左右に問ふ
●あじゆん
に、或は黙し、或は馬と言ひ、以て趙高に阿順す。
いん
或は鹿と言ふ者あり、高因つて陰に諸々の鹿と言ひ
あ
し者に中つるに法を以てす。後ち羣臣皆高を恐る。
夫れ事物の心目を移す、此に於て見るべし。若し聖
人にして此の事に処すれば、則ち平生と亦た奚ぞ異
あざむ 人
ならん。只鹿と謂うて君と心とを欺かざるのみ。或
曰く、彼の羣臣未だ必ずしも皆馬と言はず。或は黙
たゞ
するものあり、或は径ちに鹿と言うて君と心とを欺
かざる者あり。而て其の君と心とを欺かざる者に在
つては、則ち趙高陰に之に中つるに法を以てす。法
たゞ
を以てすれば則ち必ず殺さる。聖人と雖も径ちに鹿
と言はば、乃ち彼と同じく殺されんか。曰く、夫れ
●
黙する者は、馬と言ふ者と特に五十歩百歩の間のみ。
深く弁ずるに足らず。鹿と言うて殺されし者に至つ
まどひ
ては、弁ずるあらざれば、則ち誰か其の惑を解かん
と な
や。吾れ請ふ、又た之を説かん。趙高の君を無みす
● いづれ ●
る、魯の三子の君を無みすると孰与ぞや。陳恒其の
もくよく
君を弑するに当つて、孔子沐浴して君に朝して曰く、
しい き
陳恒其の君を弑せり、謂ふ之を討たんと。君可かざ
き
るに因つて、又た三子に之いて告ぐ。三子可かずと
雖も、然れども孔子を害する能はず。却つて孔子の
せうそ
告に因つて其の君を無みするの心を消沮す。則ち孔
と
子斉を討つの事を遂げずと雖も、而も三子の心を誅
げん
する事厳なり。是れに由つて之を観れば、則ち孔子
の告は、一時に発する如しと雖も、其の平生独を慎
み心を欺かざるの工夫、少しの間断ある無し。故に
●そ し
其の浩然の気、天地の間に塞がる。蘇子の謂はゆる、
そつ あ ●しんそ
卒然之に遇へば、王公も其の貴を失ひ、晋楚も其の
● ●ほんいく
富を失ひ、良平も其の智を失ひ、賁育も其の勇を失
●ぎしん
ひ、儀秦も其の弁を失ふものなり、是の故に三子焉
これ
んぞ其の害を施すを得んや。若し常人諸を三子に告
ぐれば、則ち陽に受けて陰に之を誅せん。又た猶趙
高の鹿と言ふ者を殺すごとく然らん。故に孔子をし
ろくば
て鹿馬の事に処せしむれば、径ちに鹿と言ふと雖も、
趙高独り之を害する能はざるのみならず、却つて其
をのゝ そ
の心を戦かして其の謀を沮せん、是れ決して余人の
及ぶ所にあらざるなり。夫れ径ちに鹿と言ふ者は、
固より黙する者の比にあらずと雖も、然れども特に
かうがい
一時の慷慨の意気に発するのみ、何ぞ平生独を慎み
心を欺かざること、聖人の如きの真修実功あらんや。
然らば則ち浩然の気、正大の心にあらざるなり。浩
はづ
然の気、正大の心にあらずして人を辱かしむれば猶
さいしん くぢ
禍を受く、況んや宰臣の言を挫くをや。宜なるかな、
● いた
忠言を発して、而て陰禍臻れるや。故に誠に孝悌忠
●さうそつ●てんはい
義を倉卒顛沛の間に尽さんと欲する者は、居常戒慎
●
恐懼し、而て理と気と合一することを為さざるべか
らざるなり。理と気と合一することを為さずして、
たま/\
而て適一時一事に発す。則ち身を殺すと雖も、君父
国家に益無し。而て天の我に与ふる所の良知良能は、
●しめつ
未だ尺寸の発露あらずして、而て身と 減せん。豈
惜しむべきにあらざらんや。
天下之有 目者、以 白為 白、以 赤為 赤、視 鹿
不 為 馬、視 馬不 為 鹿、有 耳者、以 清為 清、
以 濁為 濁、聴 笛不 為 瑟、聴 瑟不 為 笛、於
口鼻 皆亦然、此何嘗与 聖人 異也哉、而天下之
有 心者、知 孝之可 為、而不孝之不 可 為也、
知 悌之可 為、而不悌之不 可 為也、知 忠与 義
之可 為、而不忠与 不義 之不 可 為也、万善万
悪皆亦然、是又何嘗与 聖人 異也哉、故中庸曰、
「夫掃之愚、可 以与知 焉、夫婦之不肖、可 以
能行 」焉、然其無 養 気尽 性之真修 者、則臨
可 危懼 之事 、接 可 喜楽 之物 、乃耳目為 之
昏乱、而心亦喪 其明 矣、於 是視聴与 思惟 一
時顛倒了、故至 於不 以 白為 白、以 赤為 赤、
而鹿為 馬、馬為 鹿、不 以 清為 清、以 濁為
濁、而笛為 瑟、瑟為 笛、而孝不 敢為 、不孝敢
為、悌不 敢為 、不悌敢為、忠与 義不 敢為 、不
忠与 不義 敢為 也、視聴思惟、終与 聖人 相反
如 霄壤 矣、今提 一事 以験 之、趙高欲 為 乱、
恐 羣臣不 聴、乃先設 験、持 鹿献 於二世 曰、
馬也、二世笑曰、丞相誤耶、謂 鹿為 馬、間 左
右 、或黙、或言 馬、以阿 順趙高 、或言 鹿者、
高因陰中 諸言 鹿者 以 法後羣臣皆恐 高矣、夫
事物之移 心目 、於 此可 見矣、若聖人而処 此
事 、則与 平生 亦奚異、只謂 鹿而不 欺 君与
心而己矣、或曰、彼羣臣未 必皆言 馬、或有 黙
者 焉、或有 径言 鹿而不 欺 君与 心者 焉、而
在 其不 欺 君与 心者 、則趙高陰中 之以 法、
以 法則必見 殺矣、雖 聖人 径言 鹿、乃与 彼
同見 殺矣耶、曰夫黙者与 言 馬者 、特五十歩
百歩間焉耳、不 足 深弁 、至 言 鹿而見 殺者 、
不 有 弁、則誰解 其惑 哉、吾謂又説 之、趙高
之無 君、孰 与魯三子之無 君、当 陳恒弑 其君
也、孔子沐浴朝 於君 曰、陳恒弑 其君 、謂討
之、因 君不 可、又之 三子 告焉、三子雖 不
可、然不 能 害 孔子 、却因 孔子之告 、消 沮
其無 君之心 、則孔子雖 不 遂 討 斉之事 、而
誅 三子之心 厳矣、由 是観 之、則孔子之告、
雖 如 発 於一時 、其平生慎 独不 欺 心之工夫、
無 有 少間断 、故其浩然之気、塞 乎天地之間 、
蘇子之所 謂、卒然遇 之、王公失 其貴 、晋楚
失 其富 、良平失 其智 、賁育失 其勇 、儀秦
失 其弁 者也、是故三子焉得 施 其害 哉、若常
人告 諸三子 、則陽受而陰誅 之、又猶 趙高之
殺 言 鹿者 然、故使 孔子処 鹿馬之事 、雖
径言 鹿、趙高不 独不 能 害 之、却戦 其心 、
沮 其謀 矣、是決非 余人所 及也、夫径言 鹿
者、雖 固非 黙者之比 、然特発 一時慷慨之意
気 耳、何有 平生慎 独不 欺 心如 聖人 之真
修実功 也哉、然則非 浩然之気、正大之心 也、
非 浩然之気、正大之心 、而辱 人猶受 禍、況
挫 宰臣之言 乎、宜哉忠言発、而陰禍臻焉、故
誠欲 尽 孝悌忠義於倉卒顛沛之間 者、居常戒
慎恐懼、而不 可 不 為 理与 気合一 也、不
為 理与 気合一 、而適発 於一時一事 、則雖
殺 身無 益 於君父国家 、而天之所 与 我之良
知良能、未 有 尺寸之発露 、而与 身 減矣、
豈非 可 惜乎、
|
●気を養ふは孟
子浩然の気の章
に説き、性を尽
すは之を尽心篇
に説く。
●霄壤。天地の
相違。
●趙高。秦の宦
官、二世皇帝を
愚にし、天下を
乱す。
●阿順。おもね
り従ふ。
●五十歩云々。
戦に臨み五十歩
にして止ると百
歩にして止ると、
其の勇怯に格別
の相違なしとい
ふ、孟子に出づ。
●三子。季孫子、
叔孫子、孟孫子
を魯の三桓とい
ふ、代々政を擅
らにして君を無
視す。
●論語憲問篇に
出づ。
●蘇子。蘇軾、
号は東坡、宋代
の文豪、留侯論
を作る、文章軌
範に出づ。以下
留侯張良を賛す
る語。
●晋楚。戦国時
代の二大国。
●良平。漢の高
祖の謀臣張良と
陳平。
●賁育。古の猛
士、孟賁と夏育
を云ふ。
●儀秦。戦国時
代の遊説家、張
儀と蘇秦を云ふ。
●陰禍。奸臣が
ひそかに加へる
罪禍。
●倉卒。急な俄
かな場合。
●顛沛。漂浪す
る如き艱難の時。
●理気合一。正
義観念と勇気と
一致する。
● は氷が解け
ること、良知良
能が身と倶に亡
んでなくなる。
|