山田準『洗心洞箚記』(本文)153 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.7.14

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その153

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

洗心洞箚記下   中斎先生著    門人 松本乾知 点               松浦誠之 校               但馬守約  性善上より道を行ひ来る者は、高下精粗を論ぜず、       けつみやく  堯舜孔孟の血脈なり。情欲の上より悪を為し来る者            けつちうもうさう べうえい  は、小大深浅を論ぜず、桀紂莽操の苗裔なり。外に     しやうてん      うち            仁義を粧点し、而て衷に功利を包蔵し、以て問学に                すなは     は    ど  道り、以て世務に従事する者は、便ちこれ覇者の奴  れい         あ    かぞ  隷なり。億兆勝げてふべからずと雖も、人品は要              あゝ  するに此の三等を出でず。吁、人たらんと欲する者  は、択んで之を行はずんば、焉んぞ知を得ん。而て    けみ  史を閲する者、亦た之を以て当時の人の心術行事を        れう/\  観れば、則ち了了然たらん。   自性善上道来者、不高下精粗、堯舜孔   孟之血脈也、自情欲上悪来者、不小大   深浅、桀紂莽操之苗裔也、外粧点仁義、而衷   包蔵功利、以道問学、以従事世務者、便是   覇者之奴隷也、億兆雖、人品要不   出乎此三等、吁、欲人者、択不之、焉   得知、而閲史者、亦以之観当時之人之心術行   事、則了了然、








夏の桀王、殷
の紂王、皆暴君
なり。

前漢末の王莽、
後漢末の曹操は、
皆纂奪の臣なり。

粧点。飾る。

問学。中庸の
語。







了了然。明瞭。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その152/その154

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ