山田準『洗心洞箚記』(本文)154 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.7.15

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『洗心洞箚記』 (本文)

その154

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

  しん そんそもん    りしゆう  り  清の孫蘇門・黄黎洲・李二曲三大儒の学は、独り  えうかう               し ぐさん    ちく  姚江より来るのみにあらず。毛西河・施愚山・朱竹    諸老先生は、皆亦た姚江流派の人なり。世其の詩  文著作の多きを以て、良知を致すの学にあらずと為  す、是れ皆其の書を研究せざるの誤なり。故に之を          ほう  ひら  語つて以て子弟の蔀をく。   清孫蘇門黄黎洲李二曲三大儒之学、非独従姚江   来、毛西河施愚山未竹諸老先生、皆亦姚江流   派人也、世以其詩文著作之多、為良知   之学矣、是皆不研究其書之誤也、故語之以   子弟之蔀

孫蘇門。名は
奇逢、乱を避け
蘇門の夏峯に居
る、其学慎独を
主とす、黄は黄
宗羲、号は黎洲、
前に出づ、李は
名、二曲と号
す、皆明末清初
の儒者。

毛西河。名は
奇齢。施愚山。
名は閏章。竹。
名は彜尊。皆済
初の学者。

蔀は(しとみ)、
障蔽、は窓、
開く義となる。


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