山田準『洗心洞箚記』(本文)159 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.7.20

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『洗心洞箚記』 (本文)

その159

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

  こけいさい       胡敬斎先生曰く、「陳公甫も亦た些の道理を窺ひ          したが  見る。下面に序に循ふの工夫なきに因つて、故に遂   くうけん            に空見と成る」と。此れ中材已下を責むるの事にし                        れう  て、大賢を責むるは則ち不可なり。凡そ大賢は一了   れう  百了す。然るに之を苛責すること、亦た諸生児輩を  とくか            なづ         督課する如し、為れ乃ち後儒泥みて上根の人を駆り、             とう         あゝ  以て禅門に走らしむるの竇を開く所以なるか。噫。   胡敬斎先生曰、「陳公甫亦窺見些道理、因下   面無序工夫、故遂成空見、」此責中材已   下之事、而責大賢則不可也、凡大賢一了百了、   然苛責之、亦如課諸生児輩、是乃後儒所   以泥而騙上根之人、以開於禅門之竇也   歟、噫、


胡敬斎。名は
居仁、明初の純
儒、朱子を宗と
す、文敬と謚せ
らる。

陳公甫。名は
献章、白沙と号
す、静中の学を
主とす、敬斎と
同門。

一了百了。一
つ悟れば、百ま
で悟るとの意。

竇。(あな)、
門戸といふ如し。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その158/その160

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