山田準『洗心洞箚記』(本文)164 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.7.31

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『洗心洞箚記』 (本文)

その164

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

              なんじ          まな 一二 子・伯魚に謂うて曰く、「女周南・召南を為                 まな  びたるか。人にして周南・召南を為ばずんば、其       しやう めん  れ猶正しく牆に面して立つごときか」と。是れ其  の意註釈の及ぶべき所にあらず。故に朱註の修身  斉家の説を三復するも、其の要を得る能はざるな                       り。而て父の子を教ゆるに此れを以てす、聖人の  外、未だ嘗て聞かざるなり。   子謂伯魚曰、「女為周南召南矣乎、人而不   為周南召南、其猶正面牆而立也歟」是其   意非註釈之所及、故三復朱註修身斉家之   説、不其要也、而父之教子以此、   聖人之外、未嘗聞也、


孔子が其の子
の鯉、字は伯魚
に謂ふ。
論語、陽貨篇
に出づ、周南召
南は詩経国風首
篇の名。

正牆面。まと
も牆に面をむけ
て立つ、何物も
見えぬ。

聖人、孔子。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その163/その165

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