人
一三 或問ふ、陽明先生亦た明らかに太虚を言へる
●
こと、有りや。曰く、有り。語録に曰く、「聖人
● か さ し
は只だ是れ他の良知の本色に還へして、更に些子
つ
の意を著けて在らず。良知の虚は便ち是れ天の太
虚にして、良知の無は便ち是れ太虚の無形なり。
ばうしやう
月風雷山川民物、凡そ貌象形色あるもの、皆太虚
しやうがい
の無形中に在つて発用流行す。未だ嘗て天の障礙
な したが
を作し碍ず。聖人は只だ是れ其の良知の発用に順
ふ。天地万物は、倶に我が良知の発用流行の中に
こ
在り、何ぞ嘗て又た一物の良知の外に超えて、よ
い
く障礙を作し得るあらん」と。此れ豈太虚を道ふ
●そ
にあらざらんや。吾が太虚の説は、皆亦た此れ祖
じゆつ ●
述し来る。而て張子の太虚は、復た之に異なる無
れうご
きなり。人もし欲なければ、則ち独り自から了悟
しか ●
せん。否らざれば則ち必ず老仏に類するを疑ふ者
あらん。弁ぜずして可なり。
或問、陽明先生亦明言大虚、有乎、曰、有、
語録曰、「聖人只是還他良知的本色、更不
著些子意在、良知之虚、便是天之太虚、良
知之無、便是太虚之無形、日月風雷山川民物、
凡有貌象形色、皆在太虚無形中発用流行、
未嘗作得天的障礙、聖人只是順其良知之
発用、天地万物、倶在我良知的発用流行中、
何嘗又有一物超於良知之外、能作得障礙、」
此豈非道太虚乎、吾太虚之説、皆亦祖述
此来、而張子之太虚、無復異之也、人如無
欲、則独自了悟焉、否則必有疑類于老仏者、
不弁而可也、
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●語録。伝習録
を指す。
●良知は宇宙の
霊明、其の本来
のまゝに任せて、
かへぬを本色に
還へすといふ。
●祖述。敷衍す
る。
●張子。宋の張
横渠、前出。
●老仏。老子と
仏教。
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