山田準『洗心洞箚記』(本文)170 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.7

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『洗心洞箚記』 (本文)

その170

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   し    はくぼう       いやしく 一九 藉くに白茅を用ふとは、事苟もせざるなり。    こゝ  再びせば斯に可なりとは、決して之を行ふなり。    専苟くもせずと、決して之を行ふと、一を廃すれ  ば則ち大事成らず。   藉用白茅、事不苟也、再斯可矣、決行之   也、事不苟、与決行之、廃一則大事不成   矣、       ろゑい        くわんしばまさ 二〇 孔子魯衛に悦ばれず。宋の桓司馬将に要して             びふく  之を殺さんとするに遭ひ、微服して宋を過ぐ。夫  れ孔子の聖にして、而も魯衛用ひず、相司馬之を              いひ  殺さんとす、実に其の何の謂を知らざるなり。然          すゐじん  り而て之を人情に推尋すれば、則ち只だ羣小其の  ぜひ  是非の公を畏るるのみ。故に乃ち比に至る。況ん  や吾が輩聖人を学び、一に良知に任せ、以て是非                     じんくわ  を公にすること狂者の如きをや。則ち其の人禍殆   はか  ど測るべからざるものあり。然りと雖も徒に人禍   おそ        ぜ ひ      くら  を怖れ、終に是非の心を昧ますは、固より丈夫の                      まみ  恥づる所。而て何の面目ありて聖人に地下に見え  んや。故に我れ亦た吾が志に従はんのみ。   孔子不於魯衛、遭宋桓司馬将要而殺之、   微服而過宋、夫孔子之聖、而魯衛不用、桓司   馬殺之、実不其何謂也、然而推尋之人   情、則只羣小畏其是非之公焉耳、故乃至此   矣、況吾輩学聖人、一任良知、以公是非   如狂者、則其人禍殆有測者焉、雖   然徒怖人禍、終昧是非之心、固丈夫之所   恥而何面目見聖人于地下哉、故我亦従吾志   已矣、


藉くに云々.
易の大過の卦の
文、物の下に白
茅を藉く、丁寧
に取扱ふこと。

再びせば云々。
論語公冶長篇に、
孔子が季子文の
三息を評して、
再びせば可なり
と云ひしこと見
ゆ。






桓司馬。司馬
の官にある官微服。人目を
避けるために微
者の服をつけて
旅行する。



是非云々。聖
人は公平に是を
是とし、非を非
とす。

人禍。刑罰罪
禍。

聖人。孔子。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その169/その171

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