山田準『洗心洞箚記』(本文)171 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.9

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その171

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   じうねい  かうさ        そこな  二一 柔侫・狡詐は、皆是れ良知を賊ふの蠧なり。                   たゞ をのれ  之に加ふるに学力を以てすれば、則ち啻に己の良    そこな                と  をは  知を賊ふるのみならず、亦た人人の良知を蠧し了  らん。   柔侫狡詐、皆是賊良知之蠧也、加之以学   力、則不啻賊己之良知、亦蠧了人人之良   知也、       ちんどうほ          ぎ り さう 二二 朱子・陳同甫に与ふる書に曰く。「義利双  かう     へいよう     しりぞ          ふん  こら  よく  行、王覇竝用の説をけ去り、而て忿を懲し慾   ふさ  を窒ぎ善に選り過を改むるの事に従事し、粋然           りつ  醇儒の道を以て自ら律せば、則ち豈独り人道の                  ばいよう  禍を免るるのみならん。而も本根を培壅し、源                  はつき  を澄まし、本を正しうし、異時事業を発揮する  の地と為す所以のもの、益々光大にして高明な         おも  らん」と。吾れ意ふに、義利双行、王覇竝用の        こうぜつ  事は陳氏特に口舌に挙ぐるのみ。而て其の心は              こひねが  則ち亦た道に帰せんことを庶幾ふなり。而て朱           さい       子に従うて学ぶ者、蔡氏父子及び黄李数子の外、                     りめん  皆道学と称すと雖も、恐らくは未だ其の裏面に  義利双行、王覇並用の実あるを免るる能はざる        なり。豈彼れは此れより善きにあらざらんや。                    やう  然らば則ち朱子の論ずる所、但だ陳氏の陽病を                    いん  医するのみにあらず、却つて亦た其の徒の陰病   へん                   をするなり。吾が輩表裏合一せず、心口同符  せず、故に亦た当に反観内省して而て其の病を                 りつ  去り、粋然醇儒の道を以て自から律すべし。則         ゆる     ちか  ち先賢の憂患を弛ぶるに庶からん。   朱子与陳同甫書曰、「去義利双行、王   覇竝用之説、而従事於懲忿窒慾遷善改   過之事、粋然以醇儒之道自律、則豈独免   於人道之禍、而所以培壅本根、澄源正   本、為異時発揮事業之地者、益光大而高   明矣、」吾意者義利双行、王覇竝用之事、陳   氏特挙於口舌而已、而其心則亦庶幾帰乎   道、而従朱子学者、蔡氏父子、及黄李数   子之外、雖皆称道学、恐未其裏面   有義利双行、王覇並用之実也、豈非彼善   乎此耶、然則朱子所論、非但医陳氏之陽   病、却亦其徒之陰病也、吾輩表裏不合   一、心口不同符、故亦当反観内省、而去   其病、粋然以醇儒之道自律、則庶乎弛   先賢之憂患矣、


柔侫。柔媚好
侫。

蠧。物をを喰う
虫。

学力云々。学
問を悪用して、
善を曲げ、人を
迷はす。








陳同甫。南宋
の陳亮、字は同
甫、喜んで兵を
談じ、経済に志
す、朱子之を非
難す。

義利双行、義
と利とを双方採
用し、王道と覇
道とを併用す。

自ら律す。自
ら規律的にする
こと。








蔡氏。父は蔡
元定、子は蔡沈
字は仲黙。

黄李。黄幹と
李方子、何れも
朱子の高弟。

彼れは此れよ
り善き云々。大
差のないこと.

陽病。表面に
公言する病気。

陰病。人に知
れない内部的な
病気。

同符。割符を
同一にする。一
致する。

先賢。朱子。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その170/その172

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ