山田準『洗心洞箚記』(本文)173 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.12

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『洗心洞箚記』 (本文)

その173

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

        みち  そむ         もと 二四 博識にして道に叛き、雄弁にして理に悖る、      そこな      そこな   せうせいばう  則ち風を傷ひ、俗を害ふ、此れ少正卯の孔子の誅  を免れざる所以なり。而て春秋戦国の間に至つて       いくた  は、少正卯幾多なるを知らず。唯だ一聖人無きを           たくま          以て、各々其の技を逞しうし、其の材を馳せ、衆   をどろ      まど     り し  を駭かし愚を惑はし、終に李斯の残暴を開き、而       かう  て邪正倶にせらる。故に李斯の大悪、宇宙に赫        然とし、黄口の小児と雖も、既に能く之を知れり。  其の儒者の罪ある、誰か能く之を知らん。もし聖  人にして李斯の位に居らば、則ち必ず之を教へて  改めしめん。之を教へて改めずんば、則ち其の罪       いずく      しひた   し  を正さん。安んぞ比して之を虐ぐる斯の残暴の如            せいばう  くならんや。然れども正卯の如き者は、決して誅  を免るる能はざるなり。鳴呼、後輩徒に往昔の事  を語るを知つて、而て其の身却つて正卯の学を為              せるを知らざるは亦た愚なり。故に学者真に志を              ふ        たす  立て、以て道を行ひ理を践み、風を扶け俗を正し、                      一に政道を助けば、則ち虎狼と雖も之を咥む能は           しか        あやう  ず、況んや人をや。否らざれば則ち亦た殆いかな。   博識而叛道、雄弁而悖理、則傷風害俗、此   少正卯所以不免乎孔子之誅也、而至春秋戦   国間、不少正卯為幾多、以唯無聖人、   各逞其技、馳其才、駭衆惑愚、終開李   斯之残暴、而邪正倶焉、故李斯之大悪、赫   然乎宇宙、雖黄口小児、既能知之、其儒者   之有罪、誰能知之、如聖人而居於李斯之位   則必教之令改、教之而不改者、則正其罪   焉、安比而虐之如斯之残暴哉、然如正卯   者、決不誅也、鳴呼、後輩徒知往   昔之事、而不其身劫為正卯之学者亦愚   也、故学者真立志、以行道践理、扶風正   俗、而一助乎政道、則雖虎狼之、   而況人乎、杏則亦殆乎哉、




少正卯。魯の
政を乱せし太夫
にして、孔子之
を誅す。




李斯云々。李
斯は秦の始皇帝
の宰相、始皇を
輔けて書を焚き
儒者を穴に埋め
て殺す。之を
焚書儒といふ。

黄口。黄吻な
どいふ、児童の
こと。


比。一列にす
る意。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その172/その174

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