山田準『洗心洞箚記』(本文)174 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.13

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大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その174

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

               すうひ 二五 利害生死の境に臨み、真に趨避の心を起さざ                      れは、則ち未だ五十に至らずして、乃ち天命を知  るなり。而て其の心を動かして以て趨避する者は、                 則ち百歳の老人と雖も、実に夢生するのみ。此等                     は命をこれ知ると知らざると、固より論ずる無し。  是の故に人は以て早く天命を知らざるべからざる  なり。   臨利害生死之境、真不趨避之心、則未   至五十乃知天命也、而動其心以趨避者、   則雖百歳老人、実夢生焉耳、比等命之知不   知、固無論矣、是故人不以不早知天命   也、


天命。論語為
政篇に、孔子五
十にして天命を
知るとあり。天
道の流行して人
物に賦与せられ
たるもの。

夢生。人生の
真意義に目覚め
て居らぬ者。

論ずる云々。
命を知ると知ら
ぬは、問題にな
らぬ者。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その173/その175

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