山田準『洗心洞箚記』(本文)175 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.14

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『洗心洞箚記』 (本文)

その175

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   やうじやうか          はぶ     ぞう 二六 養生家は飲食を節し、思慮を省き、以て五臓   こゝろ  の心を破らず。学者にして飲食を節せず、思慮を                まゝ  省かず、以て五臓の心を破る者間これあり。而て   みづか            ぐ      しか すなは  猶自ら心を学に尽すと謂ふ者は愚なり。而も曾ち  養生家に如かざるなり。是れ他なし、実に未だ心  の何物たるを知らざる故なり。   養生家節飲食、省思慮、以不五臓之   心、学者不飲食、不思慮、以破   五臓之心者間有之、而猶自謂心于学者   愚矣、而曾養生家不如也、是無他、実未   知心為何物故也、



五臓の心。肝・
腎・肺・心・脾
の五臓の精神。

曾。乃ちに同
じ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その174/その176

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