山田準『洗心洞箚記』(本文)184 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.28

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『洗心洞箚記』 (本文)

その184

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

三五 良知を致すの学は、但だ人を欺かざるのみな       みづか     な         くふう をく  らず、先づ自ら欺く毋きなり。而て其の功夫は屋  ろう         かいしん きようく     しゆゆ      わす  漏より来る。戎慎と恐懼とは、須萸も之を遺るべ          たん  からざるなり。一旦豁然として天理を心に見れば、      ひようしやくとうかい          まさ しやだつ  即ち人欲氷釈凍解せん。是に於て当に洒脱の妙此      れに超ゆるもの無きを知るべし。而て世人は人を    みづか  欺き自ら欺き、是れ習俗と為る。父の子を養ひ、  子の父に事ふる、君の臣を使ひ、臣の君に事ふる  亦た是に於てす夫婦長幼朋友より、師弟の教学に                  にはか  至るまで、皆然らざるは莫し。故に遽に之に良知              おどろ  を致すの事を語れば、則ち駭いて走る者あり、悪    あだ            あざけ  みて仇とする者あり、嘲つて棄つる者あり、笑う          しつこく          るゐ  て避くる者あり、桎梏を以て之を観る者あり、縲  せつ  絏を以て之に比する者あり。故に良知の学天下に  亡びて伝はらず。只だ其れ伝はらざるなり。人亦        のぼ        むせいすゐし  た聖賢の域に躋るを得ず。而て皆夢生酔死の場に ぜう/\  擾擾す、豈悲しむべきにあらざらんや。もし先覚             とく  者あらば、万死を犯して疾告げざるを得ざるなり。   あ ゝ  鳴呼、後の世に当り、先覚者は抑々誰ぞや。吾れ               あゝ  未だ其の人を見ざるなり。憶。   致良知之学、不但不人、先毋自欺也、   而其功夫自屋漏来、戎慎与恐懼、不須   萸遺之也、一旦豁然見天理乎心、即人欲氷   釈凍解矣、於是当洒脱之妙無乎此   者、而世人欺人自欺、是為習俗、父之養   子、子之事父、君之使臣、臣之事君亦於   是、自夫婦長幼朋友師弟之教学、莫皆   不然矣、故遽語之致良知之事、則有駭而   走者、有悪而仇者、有嘲而棄者、有笑而   避者、有桎梏之者、有縲絏   之者、故良知之学亡乎天下而不伝、只其不   伝也、人亦不於聖賢之域、而皆擾擾   乎夢生酔死之場、豈非悲乎、若有先覚   者、犯万死、不疾告也、鳴呼、当   後之世、先覚者抑誰歟、吾未其人也、憶、



屋漏。室の西
北隅にて隠暗の
処、心の隠微に
喩へ、君子は独
を慎しむ、詩経
に「不于屋
漏」の句あり。

洒脱の妙。物
事にこだはらず
さつばりしてゐ
ること。













桎梏。手かせ、
足かせ。

縲絏。縲は黒
い縄、絏はしば
る、獄囚のこと。

夢生酔死。酔
生夢死に同じ。

擾々。ごたご
た騒ぎ乱る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その183/その185

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