山田準『洗心洞箚記』(本文)185 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.29

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『洗心洞箚記』 (本文)

その185

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

           ざう 三六 口耳の虚より、五臓方寸の虚に至るまで、皆                れい  是れ太虚の虚なり。而て太虚の霊は、尽く五臓方      あつ            いへ  寸の虚に萃まる。便ち是れ仁義礼智の家する所な                      じゆんくわん  り。其の家する所の仁義礼智は、即ち太虚に循環        する所の春夏秋冬なるのみ。是れに由つて之を観  れば、則ち仁義礼智は、春夏秋冬と異なつて同じ。                        故に昔人曰く、「人は天なり、天は人なり」と。    夫子の謂はゆる天何をか言はんや、四時行はれ、                        百物生ず、天何をか言はんやとは、是れ天を将つ  て人徳を言へるなり。然らば則ち天は人なり、人  は天なりと言ふも、亦た理ならざらんや。   自口耳之虚、至五臓方寸之虚、皆是太虚之   虚也、而太虚之霊、尽萃乎五臓方寸之虚、便   是仁義礼智之所家焉也、其所家焉之仁義礼智、   即太虚所循環之春夏秋冬也焉耳、由是観之、   則仁義礼智、与春夏秋冬異而同、故昔人曰、   「人者天也、天者人也、」夫子所謂天何言哉、   四時行焉、百物生焉、天何言哉、是将天言人   徳也、然則曰天者人也人者天也、不亦理   乎、


五臓。肝、腎、
肺、心、脾を云
ふ。

方寸。心。

家。家として
居住するの意。

天に在つては
春夏秋冬、人に
在つては仁義礼
智、皆太虚の作
用といふなり。

孔夫子の語は、
論語陽貨篇に出
づ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その184/その186

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