山田準『洗心洞箚記』(本文)188 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.3

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『洗心洞箚記』 (本文)

その188

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

                    りやうこ 四〇 孔子は仁と謂ひ、孟子は仁義と謂ふ。両箇の        仁字は、同じうして異なれり。孟子の仁は、天に  在つては即ち春なり。孔子の謂はゆる仁は、則ち       つらぬ  其れ四時を貫くの元なるか。而て春気も亦た其の              たん  分散のみ。然り而て孟子は単に仁を挙ぐれば、則            ち孔子の仁と亦た奚んぞ異ならんや。之を理に推         たんきよ          せば、則ち聖賢単挙する所の仁は即ち良知なるの            み。三子の去るや、奴となるや、死するや、孔子  は乃ち其の心の安んずる所に従ひ、以て其の徳を  全うせるを以て、終に之を仁と謂ふ。然らば則ち  良知の是非取舎は、仁にあらずして何ぞ。吾れ故   だん  に断じて曰く、仁は即ち良知と。学者之に依つて             ちか  学ばば、則ち違はざるに庶し。   孔子謂仁、孟子謂仁義、両箇仁字、同而異   矣、孟子之仁者、在天即春也、孔子所謂仁也、   則其貫四時之元也歟、而春気亦其分散耳、然   而孟子単挙仁、則与孔子之仁亦奚異哉、推   之理、則聖賢所単挙之仁、即良知也已矣、   三子之去也、奴也、死也、孔子乃以其心之   所安、以全其徳、終謂之仁、然則良知之   是非取舎、非仁而何、吾故断曰、仁即良知、   学者依之学、則庶乎不違焉、



孔子の仁は全
体の仁、孟子は
義に対して仁を
いふ、この点に
於て異なれり。

天の春夏秋冬
は、易の上にて
元享利貞の四徳
とす、統言すれ
ば、元は四徳を
総ぶ、又四時を
貫く。

孔子の仁と王
陽明の良知とは、
名を異にして其
実同じ。

三子。殷末に
紂王の暴逆を悪
みて、敬子は国
を去り、箕子は
佯りて奴となり、
此干は諌死す、
孔子之を三仁と
評せること、論
語微子篇に見ゆ。



『洗心洞箚記』(本文)目次/その187/その189

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