●わうしんさい ●ほうしん
四六 王心斎先生の、学者放心求むるに難きを問ふ。
た おう なんぢ
先生之を呼ぶ、即ち起ちて応ず。先生曰く、「而
●けんざい
の心見在す、更に何ぞ心を求めんや」と、此れ謂
●くわうけい
はゆる光景上の事にして、而て其の説固より非な
こ おう けんざい
り。もし呼に応ずる者を以て心見在すと為さば、
べうけん た
則ち今猫犬を呼ぶとも、亦た応じて起ち来る、此
れを以て良心見在すと為す、可ならんや。是れ全
ぱん
く知覚の知にして、而て人獣一般なり。其の此れ
あるを以て、何ぞ心を求めんやと謂ふ、故に其の
●へい しやうきやうしき
弊・猖狂恣 、良心を求めざるの甚しきに至る。
え そしり
先生の罪を王門に獲、而て誹を天下に受くるは、
こ ●
只だ此の光景上の事に在り。謂はゆる賢知の高き
に過ぐるものなるか。
王心斎先生之学者問 放心難 於求 、先生呼
之、即起而応、先生曰、「而心見在、更何求
心乎、」此所 謂光景上事、而其説固非也、若
以 応 乎呼 者 、為 心見在 、則今呼 猫犬 、
亦応而起来、以 此為 良心見在 、可乎、是全
知覚之知、両人獣一般也、以 其有 此、謂 何
求 心、故其弊至 猖狂恣 、不 求 良心 之甚
矣、先生之獲 罪於王門 、而受 誹乎天下 、只
在 此光景上事 、所 謂賢知之過 高者也歟、
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●王心斎。王艮、
王陽明の高弟に
して心斎と号す、
前出。
●孟子に、学問
の道他なし、放
心を求むるのみ
とあり。
●心見在。心が
現在覚めて存し
て居る。
●光景上。実体
に触れぬ、外面
の形貌。
●猖狂云々。猖
狂は、たけり狂
ひ、恣 はあら
/\しく気儘。
放心を求めぬ弊
が現在の気分実
行となる。
●賢知云々。中
庸に、知者之に
過ぐとあり。
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