山田準『洗心洞箚記』(本文)194 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.9

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『洗心洞箚記』 (本文)

その194

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   しゆくだ                 ねい 四七 祝の章を読み、嘆じて曰く、春秋の世、侫       を好み美を悦ぶ。葢し其の時に当つて、大学の道             おのづか  既に亡び、而て致知の教自ら廃す。是の故に人人    心の神明の何物たるかを知らず、只だ気に触れ意  に随ひ侫を好み美を悦ぶのみ。故に祝の輩志を  得て以て姦を行ふ。而て其の君たる者は、昏然と       きばう  して其の欺罔する所と為り、無知の物と一般に、  遂に身を亡し以て家国を破るに至る。之を要する  に其の良知を致すを知らざるを以てなり。後人も  し良知を致すを知らずんば、則ち祝の輩何の世              かれ           きばう  かこれ無からん。恐らくは他の為めに亦た欺罔せ                    いまし  られん。聖人之を言に載す、惟だ当時を誡むるの               ことば  みならず、天下万世の為めに言を立てしなり。之        ゆるがせ  を読む者、豈忽にすべけんや。   読、嘆曰、春秋之世、好侫悦美、葢   当其時、大学之道既亡、而致知之教自廃矣、   是故人人不心神明為何物、只触気随意、   好侫悦美而已、故祝輩得志以行姦、而其   為君者、昏然為其所欺罔、与無知之物一   般、遂至於亡身以破家国、要之以   其致良知也、後人如不良知、則祝   輩何世無之、恐為他亦所欺罔、聖人載之   言、不惟誡当時、為天下万世言也、   読之者、豈可忽哉、



論語雍也篇に.
子曰く、祝の
侫ありて宋朝の
美あらずんば、
難いかな今の世
に免るゝこと、
とあり、祝と
宋朝とは共に人
名。

心の神明。即
ち良知。














忽。かるくみ
る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その193/その195

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