● こ よ
四八 出づるに戸に由るとは、謂はゆる日に用ひて
知らざるなり。是れ即ち皆良知の自然に従うて、
而て自から知らざるものなり。道に由る莫きは、
● とら おほ ●しうしう
気に拘へられ物に蔽はれ、特に良知を日用酬 の
きこうぶつへん ぢよ
間に致す能はざるのみ。学んで以て気拘物蔽を除
れう
了せば、則ち斯の道に由つて、而て須萸も良知を
こゝ
離る能はざるなり。人此に至らば聖人と一般なり。
出由 戸、所 謂日用而不 知、是即皆従 良知之
自然 、而不 自知 者也、莫 由 道者、気拘物
蔽、特不 能 致 良知於日用酬 之間 焉耳、学
以除 了気拘物蔽 、則由 斯道 、而不 能 須萸
離 良知 也、人至 此与 聖人 一般矣、
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●論語雍也篇に、
子曰く、誰か能
く出づるに戸に
由らざらん、何
ぞ斯の道に由る
なきやとあり。
●気に拘へられ
云々。血気習気
に拘束され、物
欲に惑はされ昏
蔽す。
●酬 。酬は杯
を器に返す、
は酬の俗字、酬
酢といふ方よろ
し、日用往来応
対の義。
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