山田準『洗心洞箚記』(本文)195 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.10

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『洗心洞箚記』 (本文)

その195

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

       こ   よ 四八 出づるに戸に由るとは、謂はゆる日に用ひて  知らざるなり。是れ即ち皆良知の自然に従うて、  而て自から知らざるものなり。道に由る莫きは、    とら         おほ          しうしう  気に拘へられ物に蔽はれ、特に良知を日用酬の                   きこうぶつへん ぢよ  間に致す能はざるのみ。学んで以て気拘物蔽を除  れう  了せば、則ち斯の道に由つて、而て須萸も良知を            こゝ  離る能はざるなり。人此に至らば聖人と一般なり。   出由戸、所謂日用而不知、是即皆従良知之   自然、而不自知者也、莫道者、気拘物   蔽、特不良知於日用酬之間焉耳、学   以除了気拘物蔽、則由斯道、而不須萸   離良知也、人至此与聖人一般矣、



論語雍也篇に、
子曰く、誰か能
く出づるに戸に
由らざらん、何
ぞ斯の道に由る
なきやとあり。

気に拘へられ
云々。血気習気
に拘束され、物
欲に惑はされ昏
蔽す。

。酬は杯
を器に返す、
は酬の俗字、酬
酢といふ方よろ
し、日用往来応
対の義。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その194/その196

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