げうかう じしよう そんけい
五三 暁行して寺鐘を聞き、又た村を聞く。乃ち
か な
従ふ所の弟子に告げて曰く、夫の鐘の鳴るは、其
ゑんきよう
の中を虚にするを以てなり、其の遠響は乃ち家家
すゐ よ さ こうえん
の睡人を喚び醒ます。而ては其の口咽より心に
●じ や
通ず、即ち亦た虚なり、故に声ありて以て時夜を
ふたつ
告ぐ。もし両ながら虚あるにあらずんば、則ち響
と声と無けん。故に人も亦た方寸の虚を塞がずば、
なんぢ ●
即ち事物に感通せざるなきなり。が輩、学ぶと
は此れを学ぶなり、問ふとは此れを問ふなり、思
ふとは此れを思ふなり、弁ずるとは此れを弁ずる
なり、行ふとは此れを行ふなり。而て人欲去り、
めう
全く太虚に帰すれば、則ち其の言述すべからざ
しよう けい
るなり。奚んぞ啻だ鐘と鶏との類ならんや。
暁行聞寺鐘、又聞村、乃告所従之弟子
曰、夫鐘之鳴、以其虚乎中、其遠響乃喚醒
家家睡人、而自其口咽通于心、即亦虚
也、故有声以告時夜、如両非有虚、則無
響与声矣、故人亦不塞於方寸之虚、即無
不感通於事物也、輩、学者、学此也、問
者、問此也、思者、思此也、弁者、弁此也、
行者、行此也、而人欲去、全帰乎太虚、則
其不可言述也、奚啻鐘与鶏之類也哉、
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●時夜。が時
をつげること、
其の語、荘子斉
物論に見ゆ。
●学ぶ云々。中
庸に「博学之、
審問之、慎思
之、明弁之、篤
行之」とあり.
此に本づいてい
ふ。
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