山田準『洗心洞箚記』(本文)204 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.20

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『洗心洞箚記』 (本文)

その204

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

           ちよく 五九 或、「人の生るるや直」の義を問ふ。曰く、          良知は孝弟の是にして、而て不孝不弟の非なるを  知る。仁義の是にして、而て不仁不義の非なるを         せいぼん  知る。是れ即ち聖凡と無く一なり。故に人の生る                  おのれ  か  るや直なり。而て人長ずるに随つて己に克つ能は  ず、自から其の良知を欺き、而て之を致すを得ず、      故に罔ゆ、罔ゆれば則ち人にあらざるなり。而て  けいりく                  かう  刑戮を免れ、以て身を全うして生く、此れ豈幸民  にあらざらんや。先王の世に在つては、則ち決し   きやう  て郷の八刑に免るべからず。幸民たらんと欲すと                   たん  雖も得んや。故に孔子幸にして免るの嘆ある所以  なるか。   或問「人之生也直」之義、曰、良知知孝弟   之是、而不孝不弟之非、知仁義之是、而不仁   不義之非、是即無聖凡一也、故人之生也直、   而人随長不己、自欺其良知、而不   得之、故罔焉、罔則非人也、而免於刑   戮、以全身而生、此豈非幸民乎、在先王   世、則決不於郷八刑、雖幸   民得乎、故孔子所以有幸而免之嘆也歟、



論語雍也篇に
「子曰く、人の
生るゝや直、之
を罔(誣)ひて
生ずるは、幸に
して免るなり」
とあり。




罔。誣ひ曲げ
る。即ち不正を
為す。

幸民。幸は倖、
僥倖にも生存す。

郷の八刑。不
幸・不睦・不・
不弟・不任・不
恤・造言・乱民
の八刑。周官に
見ゆ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その203/その205

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