山田準『洗心洞箚記』(本文)211 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.28

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『洗心洞箚記』 (本文)

その211

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   しん       さうしよう          ぎ 六五 親の字は、父母の双称にして、而て義甚だ重                    やまひ  し。夫れ父母の子に於けるや、唯だ其の疾をこれ               あた  憂ふ。心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠から                     ぎ ぎあん  ず。皆実心に子を愛するの誠にして、而て擬議安  ぱい  排を仮つて然るにあらざるなり。然り而て子の父                  したが  母を養ひ、臣の君に仕へ、婦の夫に順ひ、弟の兄   うやま          つか  を敬ひ、君の民を使ふ。欲あれば則ち彼此相隔た    つうやうきかん  り、痛癢饑寒身に切なるが如くなる能はず。皆是  れ不仁にして而て父母の心なき者なり。もし真に  良知を致さば、則ち亦た惟だ其の疾をこれ憂ひ、  心誠に之を求むるの外更に道無し。而て厚薄軽重  を親疎遠近の間に存すと雖も、要するに天下皆吾  が仁に帰するなり。故に陽明子曰く、「民を親し      いつく           たいてふ  むは民を仁しむなり。人もし能く之を体貼すれば、  則ち親の字は決して新の字に作るべからず」と。      もくしき       しんご  是れ乃ち黙識すべし、心悟すべし。   親字、父母之双称、而義甚重矣、夫父母之於   子也、唯其疾之憂、心誠求之、雖中不遠   矣、皆実心愛子之誠、而非擬議安排   也、然而子之養父母、臣之仕君、婦之順夫、   弟之敬兄、君之使民、有欲則彼此相隔、不   能痛癢饑寒切乎身、皆是不仁、而無父   母之心者也、如真致良知、則亦惟其疾之憂   心誠求之之外、更無道矣、而雖厚薄軽重   於親疎遠近之間、要天下皆帰吾仁也、故陽   明子曰、「親民仁民也、人如能体貼之、則   親字決不新字、」是乃可黙識矣、可   心悟矣、



双称。父母の
双方を称す。

論語為政篇に
見ゆ。

心誠に云々。
大学に出づ。

擬議安排。想
定や手加減。
















体貼。我が身
に引きあてる。 


『洗心洞箚記』(本文)目次/その210/その212

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