山田準『洗心洞箚記』(本文)212 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.29

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『洗心洞箚記』 (本文)

その212

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   ●かんしやうれい           ●そしり 六六 韓昌黎曰く、「名の存する所は、謗の帰する                 ほまれ  所なり」と。それ実徳あつて其の誉あり、実行あ      せい           なん そしり  つて其の声あらば、則ち奚の謗をかこれ招かん。   し                  ほまれ  爾か云ふが如きは、則ち実徳なくして其の誉あり、          せい  実行無くして其の声あるものなり。誇の至る、亦   うべ       ●きよろさい  た宜ならずや。故に許魯斎曰く、「実なくして誉  を得、可ならんや。大誉には則ち大毀至り、小誉           ひつぜん          ほまれ  には則ち小毀至る、必然の理なり。惟だ聖賢の誉        そし           を  を得る、則ち毀るべき所なし。大名の下処り難き                    を  も、聖賢に在つては則是れに異なり、処り難きも                  を  のなし。実なくして名を得、故に処り難し。名は                い  美器なり、造物者多く取るを忌む。多く取るを忌         か             い  むにあらず、夫の実無くして名を得る者を忌む」    ●かんし          うかゞ  と。韓子は文を学んで而て道を窺ふものなり、故           ●きよし  に其の言彼の如し。許子は理学の名儒なり、故に          きよめい  其の言此の如し。虚名ある者は、宜しく韓子の言   かんが  に鑒みて以て之を避くべし。実名無き者は、須ら        いきどほ  く許子の言に憤りて以て之を立つべし。   韓昌黎曰、「名之所存、謗之所帰也、」夫有   実徳而有其誉、有実行而有其声、則奚   謗之招、如云爾、則無実徳、而有其誉、   無実行而有其声者也、謗之至、不亦宜乎、   故許魯斎曰、「無実而得誉、可乎、大誉則大   毀至、小誉則小毀至、必然之理也、惟聖賢得   誉、則無所可毀、大名之下難処、在聖賢   則異於是、無於難処者、無実而得名、   故難処、名美器也、造物者忌多取、非忌   多取、忌夫無実而得名者、韓子学文而窺   道者、故其言如彼、許子理学名儒、故其言如   此、有虚名者、宜鑒韓子言以避之、無   実名者、須慎憤許子言以立之、


●韓昌黎。唐の
韓愈、昌黎伯に
封せらる。

●此の語、韓文
の「原毀」に出
づ。




●許魯斎。元の
名儒許衡、朱子
を宗とす、前出。













●韓子。前の韓
昌黎。

●許子。前の許
魯斎。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その211/その213

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