●かんしやうれい ●そしり
六六 韓昌黎曰く、「名の存する所は、謗の帰する
ほまれ
所なり」と。それ実徳あつて其の誉あり、実行あ
せい なん そしり
つて其の声あらば、則ち奚の謗をかこれ招かん。
し ほまれ
爾か云ふが如きは、則ち実徳なくして其の誉あり、
せい
実行無くして其の声あるものなり。誇の至る、亦
うべ ●きよろさい
た宜ならずや。故に許魯斎曰く、「実なくして誉
を得、可ならんや。大誉には則ち大毀至り、小誉
ひつぜん ほまれ
には則ち小毀至る、必然の理なり。惟だ聖賢の誉
そし を
を得る、則ち毀るべき所なし。大名の下処り難き
を
も、聖賢に在つては則是れに異なり、処り難きも
を
のなし。実なくして名を得、故に処り難し。名は
い
美器なり、造物者多く取るを忌む。多く取るを忌
か い
むにあらず、夫の実無くして名を得る者を忌む」
●かんし うかゞ
と。韓子は文を学んで而て道を窺ふものなり、故
●きよし
に其の言彼の如し。許子は理学の名儒なり、故に
きよめい
其の言此の如し。虚名ある者は、宜しく韓子の言
かんが
に鑒みて以て之を避くべし。実名無き者は、須ら
いきどほ
く許子の言に憤りて以て之を立つべし。
韓昌黎曰、「名之所 存、謗之所 帰也、」夫有
実徳 而有 其誉 、有 実行 而有 其声 、則奚
謗之招、如 云 爾、則無 実徳 、而有 其誉 、
無 実行 而有 其声 者也、謗之至、不 亦宜 乎、
故許魯斎曰、「無 実而得 誉、可乎、大誉則大
毀至、小誉則小毀至、必然之理也、惟聖賢得
誉、則無 所 可 毀、大名之下難 処、在 聖賢
則異 於是 、無 於難 処者 、無 実而得 名、
故難 処、名美器也、造物者忌 多取 、非 忌
多取 、忌 夫無 実而得 名者 、韓子学 文而窺
道者、故其言如 彼、許子理学名儒、故其言如
此、有 虚名 者、宜 鑒 韓子言 以避 之、無
実名 者、須 慎憤 許子言 以立 之、
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●韓昌黎。唐の
韓愈、昌黎伯に
封せらる。
●此の語、韓文
の「原毀」に出
づ。
●許魯斎。元の
名儒許衡、朱子
を宗とす、前出。
●韓子。前の韓
昌黎。
●許子。前の許
魯斎。
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