山田準『洗心洞箚記』(本文)213 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.9.30

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『洗心洞箚記』 (本文)

その213

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

     なんぢ      じゆ 六七 或、「女、君子の儒と為れ」の義を問ふ。曰                     おのれ た  く、註に引く所の、程子曰く、君子の儒は己の為  めにし、小人の儒は人の為にするの説、既に解し    れい  得て了せり。而て己の為めにするとは、即ち明徳  を明かにするなり。明徳を明かにするは、即ち良          こゝろ  知を致して自から慊くするものなり。人の為めに       いたづら        じつとく     すなは  するとは、徒に人の知るを求めて実得なし、便ち  是れ良知を欺き、又た世を欺くものなり。故に儒  と雖も要するに小人に帰す。吾が輩千歳の下此の       しようかん  うるほ  語を読み、悚汗身を沾す。因つて子夏が聖師の此  語を聴く時、其の心何如なりしかを想像するに、        必ず身を容るる能はざるものの如くありしならん。   或問「女為君子儒之義、」曰、註所引、   程子曰、君子儒為己、小人儒為人之説、既   解得了、而為己者、即明明徳也、明明徳、   即致良知而自慊者也、為人者、徒求人知   而無実得、便是欺良知、又欺世者也、故   雖儒要帰乎小人矣、吾輩千歳下読此語、   悚汗沾身、因想歳子夏聴聖師此語時、其   心何如必如於身矣、



論語薙也篇に、
「子、子夏に謂
うて曰く、女、
君子の儒となれ、
小人の儒となる
勿れ」とあり。












悚汗。恐れ愧
ぢて汗にひたる。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その212/その214

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