山田準『洗心洞箚記』(本文)218 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.10.11

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『洗心洞箚記』 (本文)

その218

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   りくかしよ ろばんそん     しごんけう  はく 七三 陸稼書は呂晩村が王門思の四言教を駁せしを                         以て、聖門に功ありとなす。而て又た曰く、「工  ふう  夫を以て之を言へば、則ち両種なし。道理を以て               いたん  之を言へば、則ち高下あり。異端は工夫に於て、 ひとへ              おい    かへ  偏に両種に分たんと欲し、道理に于ては却つて高                  下を分たず」と。此の説非なり。子路問ふ、聞く     こゝ  これ            いま  ままに斯に諸を行はんか。子曰く、父兄在すあり、               こゝ  之を如何ぞ、其れ聞くままに斯に之を行はんやと。  ぜんきゆう         これ  冉求問ふ、聞くままに斯に諸を行はんか。子曰く、  聞くままに斯に之を行へと。子路は聞くと雖も行  はざるを以て工夫と為す。冉求は聞くままに便ち  行ふを以て工夫と為す。聖門の工夫は明明に両種      かく           いたん  ぞく  あること此の如し。而て全く之を異端に属す可な                   せいそ  らんや。程子曰く、「聖人の道は更に精粗なし。  さいさうおうたい     せいぎ     くわんつう  洒掃応対より、精義神に入ると貫通して、只だ一  理なり」と。聖門の道理は、明明高下あらざるこ   かく  と此の如し、而て全く之を異端に属す可ならんや。    ろ  りく  夫れ呂・陸の二子は、朱学を明かにするを以て功                        と為し、王氏を攻むるを勉めと為す。故に理の是             い     きやうべんかうじこゝ  非を顧みず、事の有無を忌まず、強弁剛辞此に至     ころう                 そん  る。固陋なる者は其の説を信じ、而て大人君子孫・  たう        がいたん  湯の如きは、則ち皆慨嘆するのみ。   陸稼書以呂晩村駁王門之四言教、為聖   門、而又曰、「以工夫之、則無両種、   以道理之、則有高下矣、異端於工夫   偏欲両種、于道理却不高下、」此   説非也、子路問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、   如之何、其聞斯行之、冉求問、聞斯行諸、   子曰、聞斯行之、子路雖聞、以行為工   夫、冉求以聞便行工夫、聖門之工夫、   明明有両種此、両全属之異端可乎、程   子曰、「聖人之道、更無精粗、従洒掃応対、   与精義入神貫通、只一理、」聖門之道理、明   明不高下此、而全属之異端可乎、夫   呂陸二子、以朱学功、攻王氏勉、   故不理之是非、不事之有無、強弁剛   辞此、固陋者信其説、而大人君子如孫湯、   則皆慨嘆而已矣、

陸稼書。清初
の名儒、陸隴其、
字は稼書、其の
学程朱を宗とし、
王陽明を譏つて
禅学となす。
呂晩村。名は
留良、晩村と号
す、明亡びて仕
へず、程朱学を
崇ぶ。
四言教。陽明
晩年の教として
「無善無悪心
之体、有善有
悪意之動.知
善知悪是良知、
去悪為善是格
物」の言あり、
四句訣ともいふ。
工夫。修道の
方法。
異端云々。陽
明学が上根下根
に接する工夫を
分つを云ふ。
道理云々。理
は一なりと説け
ば、高下なし。

論語先進篇に
見ゆ。






呂陸。呂晩村、.
陸稼書。





孫湯。清初の
名儒、孫夏峯と
湯潜菴を云ふ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その217/その219

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