山田準『洗心洞箚記』(本文)219 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.10.12

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『洗心洞箚記』 (本文)

その219

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   そうじ      おや     めい 七四 荘子曰く、「子の親を愛するは命なり、心に            つか  解くべからず。臣の君に事ふるは義なり、天地の    のが  間に逃る所なし」と。此れ儒者の語に似て、而て  いたんくうじやくしや  異端空寂者の言ふ所にあらざる如し。故に昔人曰  く、「荘子は老子同じくして異なり、孔子と異に                 して同じ」と。然れども其の解くべからざるもの         は、固より不学不慮の良知にして而て逃るる所な  きの情は、乃ち勉強に出づ。其の君臣の義に於け      ぶんげう  る、未だ分暁ならざる。即ち見るべし。是れ其の   いたん  異端にして儒にあらざる所以なり。   荘子曰、「子之愛親、命也、不於心、   臣之事君、義也、無於天地間、」此   似儒者之語、而如異端空寂者之所言也、   故昔人曰、「荘子与老子同而異、孔子異而   同、」然其不解者、固不学不慮之良知、   而無逃之情、乃出乎勉強、其於君臣之   義分暁即可見矣、是所以其異端而非儒   也矣、



荘子。前出此の語。荘子
人間世篇に出づ。







孟子尽心上篇
に「学ばずして
能くする所のも
のは良能なり、
慮らずして知る
所のものは良知
なり、」とあり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その218/その220

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