山田準『洗心洞箚記』(本文)22 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.28

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『洗心洞箚記』 (本文)

その22

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

三一 心体は虚霊のみ、悪は固よりなし、善と雖も有   るべからず。もし先づ善あり而て塞かば、則ち神                 さいが   明終に用を為す能はざるなり。宰我礼楽の念、常   に心に在り、此れ乃ち善にして、悪にあらざるな               り。然れども父母の喪を短うせんと欲するは、則   ち安んぜざるの事に於て忍んで以て安んじ、而て            しりぞ   自ら不仁の罪聖師に斥けらるるを知らざるなり。   其の善に塞がるの害は即ち此の如し、况んや悪を               や。陽明先生曰く、善無く悪無きは心の体と、此   を以ての故なり。拘迂者のよく知る所にあらざる        だう\/ ていぎ   なり。而て々之を詆議す、何ぞや。    心体虚霊而已矣、悪固無、雖善不有、如先    有善而塞焉、則神明終不用也、宰我礼    楽之念、常在於心、此乃善而非悪也、然欲    短父母之喪、則於不安事忍以安焉、而不自    知不仁之罪斥於聖師也、其塞於善之害即如    此、况悪乎、陽明先生曰、無善無悪、心之体、    以此故也、非拘迂者之所能知也、而々詆    議之何也、






論語陽貨篇に
宰我の問として、
三年の喪をつと
むる間に礼楽が
毀るとの言あり。






陽明先生四句
教の首句。


々。四句教
について、争ひ
騒ぐ。

詆議。そしり
議す。


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