三一 心体は虚霊のみ、悪は固よりなし、善と雖も有
るべからず。もし先づ善あり而て塞かば、則ち神
さいが ●
明終に用を為す能はざるなり。宰我礼楽の念、常
に心に在り、此れ乃ち善にして、悪にあらざるな
も
り。然れども父母の喪を短うせんと欲するは、則
ち安んぜざるの事に於て忍んで以て安んじ、而て
しりぞ
自ら不仁の罪聖師に斥けらるるを知らざるなり。
其の善に塞がるの害は即ち此の如し、况んや悪を
●
や。陽明先生曰く、善無く悪無きは心の体と、此
を以ての故なり。拘迂者のよく知る所にあらざる
●だう\/ ●ていぎ
なり。而て々之を詆議す、何ぞや。
心体虚霊而已矣、悪固無、雖善不可有、如先
有善而塞焉、則神明終不能為用也、宰我礼
楽之念、常在於心、此乃善而非悪也、然欲
短父母之喪、則於不安事忍以安焉、而不自
知不仁之罪斥於聖師也、其塞於善之害即如
此、况悪乎、陽明先生曰、無善無悪、心之体、
以此故也、非拘迂者之所能知也、而々詆
議之何也、
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●論語陽貨篇に
宰我の問として、
三年の喪をつと
むる間に礼楽が
毀るとの言あり。
●陽明先生四句
教の首句。
●々。四句教
について、争ひ
騒ぐ。
●詆議。そしり
議す。
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