をし き のつと
七七 人を教ふる者、聖賢教ふる所の規に法らずし
●まんじ ほどこ
て、而て漫爾として之を施さば、則ち賢と不肖と、
こんざつ じ とく
才と不才と、混雑して各々自得する能はざるなり。
各々自得する能はざれば、則ち身心に益なし。身
まさ
心に益なければ、則ち教へざるの愈れりと為すに
し ●
如かざるなり。故に孟子曰く、「君子の教ふる所
じ う
以のもの五、時雨の之を化する如きものあり、徳
を成す者あり、材を達する者あり、問に答ふる者
●ひそか しゆくがい
あり、私に淑艾せしむる者あり、此の五者は君子
の教ふる所以なり」と。教ふる者此れを以て法と
ち か
為さば則ち庶幾し。而も斯の徳あつて教を為す者
すくな
は天下に鮮し。故に子弟の徳を成し材を達する者、
あゝ
未だ之を聞かざるなり。吁、悲しいかな。
教人者、不法於聖賢所教之規、而漫爾施
之、則賢与不肖、 才与不才、混雑而不
能各自得也、不能各自得、則無益於身
心矣、無益於身心則不如不教之為愈
也、故孟子曰、「君子之所以教者五、有如
時雨化之者、有成徳者、有達材者、
有答問者、有私淑艾者、此五者、君子之
所以教也、」教者以此為法則庶幾焉、而
有斯徳為教者天下鮮矣、故子弟之成徳達
材者、未之聞也、吁、悲夫、
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●漫爾。漫然不
注意。
●孟子尽心篇に
出づ。
●私に云々。間
接(私)に前代の
人を師として、
其の教説に依つ
て己を善(淑)く
し、治(艾)める、
私淑に同じ。
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