山田準『洗心洞箚記』(本文)225 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.10.23

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『洗心洞箚記』 (本文)

その225

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

     けい      八〇 簗の恵王曰く、「寡人の国に於けるや、心を            えんのみい  尽す焉耳矣」と。其の焉耳矣の三字を観れば、則  ち恵王自ら以て十分其の善心を尽すと為せるの意、  れう         ●        ●  瞭然として見るべし。孔子曰く、已んぬるかな、                        吾れ未だ能く其の過を見て、而て内に自から訟む               いひ  る者を見ざるなりと、恵王の謂なり。然れども人     かくき          に勝心客気あり、各々意見功詐を以て道と為す者                   かれ  は、亦た是れ後世の恵王なり、豈独り他を笑ふべ               せい   がくよう しんどく  けんや。之を思へば則ち書の精一、学庸の慎独、  しゆゆ   か  須萸も欠ぐべからざるなり。   簗恵王曰、「寡人之於国也、尽心焉耳矣、」   観其焉耳矣三字、則恵王自以為十分尽其善   心之意、瞭然可見矣、孔子曰、已矣乎、吾未   見能見其過、而内自訟者也、恵王之謂也、   然人有勝心客気、各以意見功詐道者、   亦是後世之恵王也、豈可独矣他哉、恩之則   書之精一、学庸之慎独、不須萸欠也、


孟子梁恵王篇
に見ゆ。



論語公冶長篇
に見ゆ。

已んぬ云々。
もはや見込みな
からうかの意。





書の精一云々。
書経大禹謨に
「惟れ精、惟れ
一、允に厥の中
を執れ」とあり。

慎独云々。大
学の小人間居云
云の終りに、
「故に君子必ず
其の独を慎し
む」とあり、中
庸の始めにも同
じ文あり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その224/その226

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