山田準『洗心洞箚記』(本文)226 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.10.24

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『洗心洞箚記』 (本文)

その226

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

        にく 八一 大学の上に悪むの章を読みて曰く、上下前後     しば                かうべ  左右、姑らく一身に就いて之を言へば、則ち首は  かみ  あし しも  はら      せ  上、足は下、腹は前、背は後、左手は左、右手は               すなは    しゆそくふくはいしゆ  右、心は中央たり。而て心は便ち是れ首足腹背手               きず  臂の主たるものなり。故に首を傷つくれば則ち心      にく  誠に之を悪む。然れども未だ嘗て之を足に移さん  と欲せず。足を傷つくれば則ち心誠に之を悪む、            かうべ         はら  然れども未だ嘗て之を首に移さんと欲せず。腹を  傷つくれば則ち心誠に之を悪む、而て未だ嘗て之              を背に移さんと欲せず。背を傷つくれば則ち心誠                はら  に之を悪む、而て未だ嘗て之を腹に移さんと欲せ  ず。左手を傷つくれば則ち心誠に之を悪む、而て  未だ嘗て之を右手に移さんと欲せず、右手を傷つ  くれば則ち心誠に之を悪む、而て未だ嘗て之を左  手に移さんと欲せず。是れ即ち吾が心の仁なり。             たい  聖人は天地万物を以て一体と為し、其の人物を視                       ること猶吾が首足腹背手臂のごとし。故に人物の  へいつう  病痛は即ち我れの病痛なり。是を以て吾が心の悪      あへ   がう             む所は、肯て一毫も人に施さず。是れ之を天地万  物を以て一体と為すと謂ふなり。後の学者亦た只          かへ  だ吾が一体の仁に復らんことを学ぶのみ。其の工  夫の如きは、良知を致すの外、更に学の講ずべき              かみ          なきなり。陽明子曰く、「上に悪むところとは知     しも     なか      ち  なり、下に使ふ毋れとは知を致すなり。」と。豈  しん  信に然らずや。   読大学悪於上曰、上下前後左右、姑就   一身之、則首者上、足者下、腹者前、背者   後、左手者左、右手者右、心為中央矣、而心   便是首足腹背手臂之為主也、故傷首則心誠悪   之、然未嘗欲之于足、傷足則心誠悪之、   然未嘗欲之于首、傷腹則心誠悪之、而   未嘗飲之于背、傷背則心誠悪之、而未   嘗欲之于腹、傷左手則心誠悪之、而未   嘗欲之于右手、傷右手則心誠悪之、而   未嘗欲之于左手、是即吾心之仁也、聖人   以天地万物一体、其視人物、猶如吾   首足腹背手臂、故人物之病痛、即我病痛也、   是以吾心之所悪者、不肯一毫施乎人、是之   謂天地万物一体也、後之学者、亦只   学吾一体之仁而已矣、如其工夫、致良   智之外、更無学可請也、陽明子曰、「悪於   上知、毋使於下知也、」豈不信然乎、


大学の治国平
天下篇に「上に
悪む所、以て下
に使う勿れ、下
に悪む所、以て
上に事ふ勿れ云
々」とあり。


























人物。人や禽
獣草木。


程明道始めて
曰ふ「仁者は天
地万物を以て一
体となす」と、
二程全書二巻に
見ゆ。

吾が一体云々。
王子の抜本塞源
論は此の主旨に
本づく。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その225/その227

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