● にく
八一 大学の上に悪むの章を読みて曰く、上下前後
しば かうべ
左右、姑らく一身に就いて之を言へば、則ち首は
かみ あし しも はら せ
上、足は下、腹は前、背は後、左手は左、右手は
すなは しゆそくふくはいしゆ
右、心は中央たり。而て心は便ち是れ首足腹背手
ひ きず
臂の主たるものなり。故に首を傷つくれば則ち心
にく
誠に之を悪む。然れども未だ嘗て之を足に移さん
と欲せず。足を傷つくれば則ち心誠に之を悪む、
かうべ はら
然れども未だ嘗て之を首に移さんと欲せず。腹を
傷つくれば則ち心誠に之を悪む、而て未だ嘗て之
せ せ
を背に移さんと欲せず。背を傷つくれば則ち心誠
はら
に之を悪む、而て未だ嘗て之を腹に移さんと欲せ
ず。左手を傷つくれば則ち心誠に之を悪む、而て
未だ嘗て之を右手に移さんと欲せず、右手を傷つ
くれば則ち心誠に之を悪む、而て未だ嘗て之を左
手に移さんと欲せず。是れ即ち吾が心の仁なり。
たい
聖人は天地万物を以て一体と為し、其の人物を視
●
ること猶吾が首足腹背手臂のごとし。故に人物の
へいつう
病痛は即ち我れの病痛なり。是を以て吾が心の悪
あへ がう ●
む所は、肯て一毫も人に施さず。是れ之を天地万
物を以て一体と為すと謂ふなり。後の学者亦た只
● かへ
だ吾が一体の仁に復らんことを学ぶのみ。其の工
夫の如きは、良知を致すの外、更に学の講ずべき
かみ ち
なきなり。陽明子曰く、「上に悪むところとは知
しも なか ち
なり、下に使ふ毋れとは知を致すなり。」と。豈
しん
信に然らずや。
読大学悪於上章曰、上下前後左右、姑就
一身言之、則首者上、足者下、腹者前、背者
後、左手者左、右手者右、心為中央矣、而心
便是首足腹背手臂之為主也、故傷首則心誠悪
之、然未嘗欲移之于足、傷足則心誠悪之、
然未嘗欲移之于首、傷腹則心誠悪之、而
未嘗飲移之于背、傷背則心誠悪之、而未
嘗欲移之于腹、傷左手則心誠悪之、而未
嘗欲移之于右手、傷右手則心誠悪之、而
未嘗欲移之于左手、是即吾心之仁也、聖人
以天地万物為一体、其視人物、猶如吾
首足腹背手臂、故人物之病痛、即我病痛也、
是以吾心之所悪者、不肯一毫施乎人、是之
謂以天地万物為一体也、後之学者、亦只
学復吾一体之仁而已矣、如其工夫、致良
智之外、更無学可請也、陽明子曰、「悪於
上知、毋使於下致知也、」豈不信然乎、
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●大学の治国平
天下篇に「上に
悪む所、以て下
に使う勿れ、下
に悪む所、以て
上に事ふ勿れ云
々」とあり。
●人物。人や禽
獣草木。
●程明道始めて
曰ふ「仁者は天
地万物を以て一
体となす」と、
二程全書二巻に
見ゆ。
●吾が一体云々。
王子の抜本塞源
論は此の主旨に
本づく。
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