山田準『洗心洞箚記』(本文)229 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.10.27

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『洗心洞箚記』 (本文)

その229

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   しよかつぶこう  いまし 八四 請葛武侯子を誡むる書に曰く、「夫れ君子の     せい       おさ    けん       たんぱく  行は、静以て身を修め、倹以て徳を養ふ。澹薄に                    ねいせい  あらざれば以て志を明らかにするなく、寧静にあ  らざれば以て遠きに致すなし。夫れ学は静を欲す  るなり、才は学を欲するなり。学にあらざれば以  て才を広むる無く、静にあらざれば以て学を成す     たうまん         せい  みが     けんさう  無し。慢なれば則ち精を研く能はず。険躁なれ       をさ            ば則ち性を理むる能はず。年は時と馳せ、意は日        こらく  と去り、遂に枯落を成し、多く世に接せず、悲ん   きうろ         ま   ま                 ひそ  で廬を守る、将た復た何ぞ及ばん」と。竊かに                公の此の書と公の行事とに即いて以て之を考ふれ      まさ  ば、則ち当に公の学は直ちに大学の上より来り、    こうそうしまう  けつみやく  而て孔曾思孟の血脈なるを知るべきなり。其の身  を修むと曰ひ、徳を養ふと曰ひ、志を明らかにす  と曰ひ、遠きに致すと曰ひ、才を広むと曰ひ、学           みが       をさ  を成すと曰ひ、精を研くと曰ひ、性を理むと曰ふ、     ないきう  皆是れ内求の功にして、而て外求にあらざるなり。                      てい  而て四箇の静の字を以て之を一貫す、則ち大学定  せい  静の旨と同一なり。故に公の身を修め、徳を養ひ、  志を明らかにし、遠きに致し、才を広め、学を成      みが       をさ  し、精を研き、性を理むる、諸々内求の功は、独               さうろ    せんしゆ  り静中より得るのみならず、草廬を出でて先主を  たす   きよぞく          すゐし  へう  佐け、巨賊を討して漢業を興し、出師の表を上つ         な      すで        し ば  て以て鬼神を泣かしめ己に死せる身を以て司馬を      こうくんいこう            走らすの鴻勲異功の如きと錐も、皆又た這の静の                      影のみ。其の王佐の才にして而て覇者の徒にあら  ざること、是に於て見るべし。然らば則ち静なる                       ものは、豈万事の大頭脳にあらずや。故に周子曰  く、「聖人之を定むるに、中正仁義を以てし、而                    このしよ  て静を主とす」と。此れ必ず大学と公の此書とに          せきじゆ         根ざし来る。故に昔儒謂ふ、「先儒の理学を言ふ  者、未だ静に取らざる者あらざるなり。則ち武侯  の謂はゆる静以て身を修む、静にあらざれば以て  学を成すなしとは実に前聖の未だ発せざる所を発       ひら  し、後賢の啓かんと欲する所を啓く、豈理学の正  宗にあらざるか」と。吾れ亦た以て然りと為す、   あ ゝ            ごんせん  鳴呼、静の静なる所以は、則ち言詮の及ぶべき所  にあらざるなり。周子の謂はゆる無欲を以て之を たいてん      はうふつ       ちか  体貼せば、則ち其の髣髴を見るに庶からんか。


子を誡むる書。
請葛丞相集に載
る。

澹薄。淡泊倹
素。

寧静。安寧平
静。



慢。ほしい
まゝ、あなどる。

険躁。陰険に
して、落ちつか
ぬこと。

枯落。落ちぶ
れて棄たりもの
になる。



孔曾思孟。孔
子、曾参、子思、
孟軻。





内求。内求は
内に向つて心を
治める。外求は
読書によつて智
を読む。

定静。大学の
始め「止るを
知つて後に定る
あり、定まつて
後能く静云々」
とあり。

先生。蜀漢の
昭烈皇帝劉備。



死せる身云々。
孔明死後、生け
る如く装ひて、
敵将司馬仲達を
走らす。時人之
を評して「死せ
る孔明、生ける
仲達を走らす」
といふ。

周子。周敦、
濂渓と号す。此
の語太極図説に
出づ。

理学。性理学。









言詮。言語の
上の詮議だて。 

体貼。我身に、
ぴたりと引合せ
体験する意。

髣髴。大体の
面影といふ如し。


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