とう ● ぎ
八三 董子曰く、「其の誼を正して、其の利を計ら
ず。其道を明らかにして、其の功を計らず」と。
● ないくわん ●さうしよう
宋の大儒范内翰祖禹毎に之を荘誦し、人に謂ひて
曰く、「君子己を行ひ朝に立つ、当に此の如くな
か
るべし。夫の成功の若きは則ち天なり」と。而て
と ●びやく
朱子亦た之を採つて以て其の小学に書し、以て白
ろくどうがくそく かゝ ●くわいしや こゝ
鹿洞学則に掲ぐ、故に人口に膾炙すること茲に幾
せいぎめいだう くん
百年なり。而て其の正誼明道の訓、何ぞ之を口に
する者多く、而て躬に之を行ふ者少きや。其の然
る所以を究むるに他にあらず、只だ功を計り利を
よく
計るの慾あるを以てなり。而て中人以下は、斯の
しん
慾無きに至る能はざるなり。然れども真に学に志
ざす者は、則ち先づ斯の慾を去らざるべからざる
なり。斯の慾を去るの功夫は、亦た只だ其の義に
くわ
当るや、其の身の禍福生死を顧みずして、而て果
かん
敢に之を行ふ。其の道に当るや、其の事の成敗利
ふ
鈍を問はずして、而て公正に之を履む。則ち其の
●かじやうさはん
慾日に薄くして、而て道義終に家常茶飯とならん。
●しよかつぶこう
此れ虚言にあらず。漢に在つては諸葛武侯、唐に
●がん ●ぶん しや みん
在つては二顔、宋に在つては文・謝、明に在つて
●りう くわう さ はん
は劉・黄、是れ皆道義を以て、茶飯と為せるもの
こゝ ●かうと し やう
なり。学者もし亦た此に至らば、則ち江都紫陽の
のこ い むく ち か
二子後人に胎す所の意に酬ゆるに庶幾からん。
董子曰、「正其誼、不計其利、明其道、
不計其功、宋大儒范内翰祖禹毎荘誦之、
謂人曰、「君子行己立朝当如此、若夫成
功則天也、」而朱子亦採之以書於其小学、
以掲於白鹿洞学則、故膾炙人口幾百年於
茲、而其正誼明道之訓、何口之者多、而躬
行之者少也、究其所以然非他、以只有計
功計利之慾也、而中人以下不能至無斯慾
也、然真志於学者、則不可不先去斯慾
也、夫斯慾之功夫、亦只当其義也、不顧
其身之禍福生死、而果敢行之、当其道也、
不問其事之成敗利鈍、而公正履之、則其慾
日薄、而道義終為家常茶飯矣、此非虚言、
在漢諸葛武侯、在唐二顔、在宋文謝、在明
劉黄、是皆以道義為茶飯者也、学者如亦至
此、則庶幾酬江都紫野二子所胎於後人之
意焉、
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●此語董仲舒賢
良策の語、近思
録為学類及び小
学に引かる、誼
は義、功は效果
利益なり。
●范内翰。宋の
名士范祖禹のこ
と、権要に忤ひ
貶せらる。内翰
は翰林学士。
●荘誦。謹み読
む。
●白鹿洞。朱子
の講授せし書院
の名、学則を撰
して掲ぐ、其の
址江西省廬山の
麓に在り。
●膾炙。なます
と、炙り物より
転じて、物事が
広く人に伝へら
れることに用ふ。
●家常茶飯。毎
日の食事をする
やうな、きまつ
た事。
●諸葛武侯。諸
葛亮、前出。
●二顔。唐の忠
臣顔杲卿、常山
の太守、安禄山
の乱に義兵を起
して殺さる、顔
真卿、平原の太
守、杲卿と共に
義を唱ふ。
●文謝、文天祥、
宋末、義兵を起
して捕へられ、
屈せずして殺さ
る。謝枋得は畳
山と号す、元の
都に拘せられ、
絶食して死す。
●劉黄。劉宗周、
念台又た山と
号す、慎独を主
とす、清兵に敗
れ、絶食して死
す。黄道周は石
斎と号す、剛直、
清師に抗し、兵
敗れて死す、忠
烈と志す。
●江都紫陽。菫
仲舒は江都王に
相たり、朱子は
紫陽書院に教授
す。
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