山田準『洗心洞箚記』(本文)232 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.11.1

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『洗心洞箚記』 (本文)

その231

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

      ぶんちうし       ちう    た 八五 文中子曰く、「天地の中は、他にあらざるな                   り、人なりと。仁を問ふ。曰く、五常の始めなり               もと  と。性を問ふ。曰く、五常の本なりと。道を問ふ。               おも  曰く、五常一なり」と。吾れ惟ふ、天地の中は即                     ち太虚の徳なり、之を人の方寸の心に付す。而て            ふく  方寸の心は太虚の徳を含む。故に曰く、天地の中                     じつけん  は他にあらざるなり、人なりと。此れ乃ち実見の  言にして、而て仁なり性なり道なり、名を異にす  と雖も、要するに皆其の徳のみ。故に人天地の中                 なん  を全うせんと欲すれば、則ち亦た奚ぞ他に求めん               したが  や。只だ其の良知を致し、性に率うて以て道を行  へば、則ち仁熟し、而て心太虚に帰せん。学者此  に至らば亦た聖なるか。   文中子曰、「天地之中、非他也、人也、問仁、   曰、五常之始也、問性、曰、五常之本也、問   道、曰、五常一也、」吾惟天地之中、即太虚之   徳也、付之人方寸之心、而方寸之心含乎太   虚之徳焉、故曰、天地之中非他也、人也、此   乃実見之言、而仁也、性也、道也、雖名、   要皆其徳已矣、故人欲天地之中、則亦奚   他求哉、只到其良知、率性以行道則仁熟、   而心帰乎太虚矣、学者至此亦聖乎、


文中子。随の
大儒、王通、文
中子と称す、其
の著も亦た文中
子と題す。

天地の中、中
は天地の理体を
指す。

五常。仁義礼
智信。










中庸の初めに
「性に率う之を
道と謂ふ」とあ
り。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その230/その232

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