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九四 二程子曰く、「天下の善悪は皆天理なり、之
も ●
を悪と謂ふ者は、本と悪なるにあらず、但だ或は
す すなは
過ぎ、或は及ばず、便ち此の如し」と。又た曰く、
「聖人は即ち天地なり。天地の中何物かあらざら
かつ ● けんべつ
ん、天地豈嘗て善悪を揀別する心あらん。一切涵
● を
容覆載す、但だ之に処るに道あるのみ」と。陽明
子の善悪は只だ一物との説は、二程子の此の語に
根ざし来るなり。而て善悪皆天理の説を以て儒者
に語るに、儒者は乃ち謂ふ性は即ち善のみ、悪を
以て天理と謂ふ可ならんやと、而て必ず善悪皆天
理の説を信ぜず。然れども天の太虚を悟れば、則
うたが
ち疑ふべきなし。如し太虚を悟らざれば、則ち賢
おどろ とが
者と雖も猶駭いて信ぜず。故に何ぞ世儒を咎むる
に足らんや。其れ但だ之に処るに道あるのみの六
あじは た
字は、更に味ひあり。陽明子の良知を致すは、止
こ こ ●しよは
だ此処に在つて破し了るのみ。
二程子曰、「天下善悪皆天理、謂之悪者、
非本悪、但或過或不及、便如此」、又曰、
「聖人即天地、天地中何物不有、天地豈嘗有
心揀別善悪、一切涵容覆載、但処之有道
爾」、陽明子善悪只一物之説、根二程子此語
来也、而以善悪皆天理之説語於儒者、儒
者乃謂性即善也耳、以悪謂天理可乎、而必
不信善悪皆天理之説、然悟天之太虚、則
無可疑矣、如不悟太虚、則雖賢者猶駭
而不信、故何足咎世儒哉、其但処之有
道爾之六字、更有味、陽明子致良度知、止
在此処破了、
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●此の語は程明
道の説なり。
●過か不及かの
上に善悪の名生
ず。
●善意の名を附
して取捨はせぬ。
●之に処る云々。
毒蛇猛獣は其の
様に取り扱ふ。
●破。狙視
(ねらひ)看破
す。
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