せい
九八 大程子曰く、「性を知れば即ち生死の説に明
● かんつう
らかなり」と。又た曰く、「心に感通あるを説か
●なん
ば、更に甚の生死古今の別を説かんや」と。又た
よ ●えい
曰く、「死生存亡従つて来る所を知れば、胸中瑩
ぜん た こ ●
然として疑ひ無し、止だ此れ理のみ。死の事は即
ち生是れなり、更に別理無し」と。又た曰く、
ごもく
「語黙は猶昼夜のごとく、昼夜は猶生死のごとく、
●
生死は猶古今のごとし」と。此れ皆程子が心を尽
りかい
し、性を尽し、而て生死を理会する所以の処なり。
● いき
吾れ嘗て謂ふ、未だ出ださず、息内に在るは、即
ふ
ち生なり。既に吹いて息外に出づるは、即ち死な
りと。身に就いて之を視れば、則ち生死何の知り
さとり も けうくわい
難きことかこれあらん。此の悟本と程子の教誨を
しやうりやう
承領し来りて以て得たるものなり。
大程子曰、「知性即明生死之説、」又曰、
「説心有感通、更説甚生死古今之別、」
又曰、「死生存亡知所従来、胸中瑩然無疑、
止此理耳、死之事、即生是也、更無別理、又
曰、「語黙猶昼夜、昼夜猶生死、生死猶
古今」此皆程子尽心尽性、而所以理会生
死処也、吾嘗謂、未出息在内、即生也、既
吹息出乎外、即死也、就身視之、則生死何
難知之有、此悟本承領程子之教誨来以得焉者
也、
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●心は感通の主
体にして、生死
古今は感通の表
現(あらはれ)な
り。
●甚。俗語、何
(なに)の意。
●瑩然。かゞや
き、さらりとし
て。
●理のみ。生も
死も、ともに理
なり。
●生死は古今。
一物の変化にし
て、二つにあら
ず。
●未だ云々。息
が内にあるは息
の生、息を吹き
出せば息の死、
一身の内に既に
死生あり。
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