山田準『洗心洞箚記』(本文)248 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.11.23

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『洗心洞箚記』 (本文)

その248

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一〇〇 小程子曰く、「学なるものは人をして内に  求めしむるなり。内に求めずして、而て外に求む  るは、聖人の学にあらざるなり。何をか外と謂ふ、    文を以て主と為す者是れなり。学なるものは、人  をして本を求めしむるなり。本を求めずして、而  て末を求むるは、聖人の学にあらざるなり。何を        しやうりやく     どうい   と  か末と謂ふ、詳略を考へ、同異を採る者是れなり。  是の二者は、皆身に益なし、君子は学ばざるなり」                  せい  と。程子の此等の説は、陽明先生の精一の学と異  なる無し。学者宜しく心を平らかにし以て之を見  るべきなり。   小程子曰、「学也者、使人求於内也、不   於内、而求於外、非聖人之学也何謂外、   以文為主者、是也、学也者、使人求於本   也、不於本、而求於末、非聖人之学   也、何謂末、考詳略、採同異者、是也、   是二者、皆無於身、君子弗学也、」   程子此等之説、与陽明先生精一之学異矣、   学者宜心以見之也、








文。文字章句、
即ち訓詁学。




学説の詳略を
考察し、同異を
採択す、即ち考
据学。

精一の学。書
経大禹謨の堯舜
伝授と称する、
惟精惟一に本づ
き、人心に精し
く吟味し、道心
に合致する学。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その247/その249

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