山田準『洗心洞箚記』(本文)249 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.11.24

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『洗心洞箚記』 (本文)

その249

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一〇一 小程子曰く、「一人の心は即ち天地の心に                      うん  して、一物の理は即ち万物の理なり。一日の運は       うん       えう  即ち一歳の運なり」と。吾れ姚江良知を致すの教                 ちよう  を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。                  而て伊川先生の此の語に於て、賜ふ所甚だ少なか  らず。人もし能く心性を了せば、則ち理と運とは  亦た心のみ、別物にあらざるなり。先生分別して         どうもう  之を説けるは、童豪の為めにするのみ。   小程子曰、「一人之心、即天地之心、一物之理、   即万物之理、一日之運、即一歳之運、」吾雖   奉姚江致良知之教、以二程子之説徴   焉也、而於伊川先生此語、所賜甚不少矣、   人如能了心性、則理与運亦心而已矣、非別   物也、先生分別説之、為童豪耳、



運。運行、即
ち時の移り。

姚江。王陽明
は余姚県姚江の
上に生る、故に
地名を以て人を
代表す。

徴。証拠。

賜ふ。恩恵を
賜ふの意。

童蒙、蒙は、
くらし、子供の
こと。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その248/その250

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