山田準『洗心洞箚記』(本文)250 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.11.25

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『洗心洞箚記』 (本文)

その250

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

                しきとく       これ 一〇二 小程子曰く、「学者仁礼を識得し、実に諸   おのれ          さいばい       けいぎ  を己に得んには、只だ義理栽培を要す。経義を求  むる如きも、皆栽培の意なり」と。又た曰く、  「学者全く此の心を体せば、学未だ尽さずと雖も、       ごと             ぶんげん  事物の来る若き、応ぜざるべからず。但だ分限に            あた  随つて之に応ずれば、中らずと雖も遠からず」と。  又た曰く、「書を以て道を伝ふると、口づから相        はなは あひかん  伝ふるとは、だ相干せず。相見て言ひ、事に因  つて発明せば、則ち意志を并せて一時に伝へ了る。              つく  書は言多しと雖も、其の実尽さず」と。又た曰く、           つく    げい  「世に書を読み文を為るを以て芸と為す者あり。  文を為る之を芸と謂ふも猶これ可なり。書を読み           これ        あさ  之を芸と謂ふ。則ち諸を書に求むるもの浅し」と。       みづ              これ  此の数語、自から程朱を学ぶと謂ひて、而て諸を  しよさく              ちやうしん  書策に求めて、吾が心に求めざる者の長鍼なり。   小程子曰、「学者識得仁礼、実得諸己、只   要義理栽培、如経義、皆栽培之意、」   又曰、「学者全体此心学雖尽、若事物   之来、不応、但随分限之、雖   中不遠矣、」又曰、「以書伝道、与口相伝、   相干、相見而言、因事而発明、則并意   志一時伝了、書雖言多、其実不尽、」又曰、   「世有書為文為芸者、為文謂之芸   猶之可也、読書謂之芸、則求諸書者浅矣、」   此数語、自謂程朱、而求諸書策、不   吾心者之長鍼也、


この語、程伊
川の識仁篇に出
づ。

義理を我が心
に植ゑつける。
経書を読むも、
義理を我心に植
ゑつけるためで
ある。

分限。力量修
養の分限、程度。

。殺の俗字、
甚しと読む。





芸。論語に「芸
に游ぶ」とある
芸なり。

読書は義理を
我に栽培すべし、
芸術視するは俗
学浅見なり。

長鍼。長い針、
大なる誠。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その249/その251

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