山田準『洗心洞箚記』(本文)25 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.1

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『洗心洞箚記』 (本文)

その25

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

   かゝ                三五 拘はつて心身内に在りと謂ふ者は、十目十指の          さと   義すら一生之を了る能はず、悟つて身心内に在り   と識る者は、意欲機動の時、特に十目十指のみに   あらず、葢し以て天下の視指する所と為らん、何                          となれば、身外の虚は皆吾が心にして、而て万物   往来起伏の地なるを以ての故なればなり。    拘而謂心在身内者、十目十指之義、一生不    能之、悟而識身在心内者、意欲機動時、    非特十目十指焉、葢以為天下之所視指、    何者、以身外之虚皆吾心、而万物往来起伏之    地故也、



大学に見ゆ、
不善を為せば十
目十指が之を指
定するは、心が
身外にあるを以
てなり。


●心は身外に在
つて、そこに万
事が起伏す。故
に天下が視指す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その24/その26

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