● たと ●
三四 灯燭を以て良知に喩ふるは似たり。而も灯燭は
きめつ ●
起滅あり、良知は起滅なし。日月を以て良知に喩
●かいしよく
ふるは近し、而も日月は晦蝕有り、良知は晦蝕な
し。然らば則ち何を以て之を喩へん、喩ふべきも
のなし。夫れ良知は只是れ太虚の霊明のみ。然り
而て時あつて灯燭を以て之を喩ふ、亦た不可なし。
時あつて日月を以て之を喩ふ、亦た不可なし。中
人以下を開導教誨するの方法は、以て此の如から
ざるべからざるなり。もし直ちに太虚の霊明を以
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て之に説かば、則ち魏の文侯古楽を聴くと同じ、
唯だ臥せんことを恐る。唯だ臥せんことを恐る、
故に耳に入り、心に存する能はざるなり。其の極
世に善人なきに至る。人の師たる者は宜しく心を
教法に用ふべし。
以 灯燭 喩 良知 似矣、而灯燭有 起滅 、良知
無 起滅 也、以 日月 喩 良知 近矣、両日月有
晦蝕 、良知無 晦蝕 也、然則以 何喩 之、無
喩者 、夫良知只是太虚霊明而已矣、然而有 時
以 灯燭 喩 之、亦無 不可 、有 時以 日月 喩
之、亦無 不可 、開 導教誨於中人以下 之方法、
不 可 以不 如 此也、如直以 太虚霊明 説 之、
則与 魏文侯聴 古楽 同矣、唯恐 臥、唯恐 臥、
故不 能 入 耳存 心也、其極至 於世無 善人 、
為 人師 者、宜 用 心於教法 矣、
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●王子徐機に答
ふ、年譜に見ゆ。
●似。道理ある
に似る。
●日月云々。伝
習録黄省曾所録
に見ゆ。
●誨蝕。晦はみ
そか、蝕は日蝕。
●古楽云々。礼
記の楽記に見ゆ。
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