●ふうしゆう
一〇三 伊川先生 州の行は、乃ち其の厄なり。其
ほと くつが
の江を渡るや、中流にして船幾んど覆へる。舟中
えり
の人皆号哭す、先生独り襟を正し安坐して常の如
し。已にして岸に及ぶ。同舟に老父あり、問うて
き ふしよく
曰く、危時に当り、君独り怖色なし、何ぞやと。
せいけい
曰く、心に誠敬を存するのみと。老父曰く、心に
よ
誠敬を存するは固より善し、然れども無心なるに
し たゞ
若かずと。先生之と言はんと欲す、老父径ちに去
●
つて顧みず。此事は儒林文苑中の旧説話にして、
ふらん
而て人の口耳に在りて、既に已に腐爛せり。宜し
く語らざるべきものに似たり。然れども人其の境
あ たれ しんかんこりつ
に遭へば、則ち孰か心寒股栗して其の度を失はざ
ふらん
る者なからんや。故に口耳に在りて既に已に腐爛
●ふる たづ
すと雖も、又た当に故きを温ねて新しきを知るべ
し、是れ乃ち善く学ぶと謂ふべきなり。吾れ嘗て
じんえき
先生誠敬を存するの旨を尋繹して、頗る一得あり。
●らうさうしやくれつ
常に子弟に告げて曰く、彼の老父は必ず老荘釈列
の徒にして、而て其の道に精なる者ならんか。無
くじ か
心を説いて先生の答を挫く如しと雖も、然かも渠
れ其の誠の誠たる所以、敬の敬たる所以を識らざ
る者に似たり。夫れ吾が儒の誠敬を存する者は、
ねん ねんちやく
即ち更に一点禍福生死の念方寸に黏著するなし。
故に其の方寸は乃ち太虚と一なり。是れ即ち大無
心なり、而かも何の無心か之に及ばん。もし誠敬
にあらずして而て徒に無心ならば、則ち人と雖も
●こぼくきうしゆ
特に枯木朽株のみ。枯木朽株も亦た能く水に入つ
て沈まず。異端の心を動かさざる、大凡そ此の類
たゞ どう
なり。之を以て径ちに誠敬を存するの君子と、同
しかうかう
視抗衡す可ならんや。故に先生危時に当り怖色無
●
かりしは、即ち心太虚にして、而て舜の烈風雷雨
に迷はざりしと一般なり。倶に誠敬を存する上よ
あ ゝ
り来れり。鳴呼、誠敬の義は大なるかな、老荘釈
ふう
列の徒何ぞ之を知るに足らんや。其の後先生 よ
らく しはつ まさ
り洛に還る、容色髭髪皆平昔に勝れり。佗術あり
じじゆん
て以て之を致すにあらず、是れ亦た誠敬の滋潤の
み。之を思へば腐爛を以て之を視るなくして可な
なんぢはいこれ これ
り。 輩旃を勉めよ旃を勉めよ。此れ特に子弟を
責むるのみにあらず、予も亦た是れに志ざすもの
なりと。
伊川先生 州之行、乃其厄也、其渡 江、中流
船幾覆、舟中人皆号哭、先生独正 襟安坐如 常、
已而及 岸、同舟有 老父 問曰、常 危時 、君
独無 怖色 何也、曰、心存 誠敬 耳、老父曰、
心存 誠敬 、固善、然不 若 無心 、先生欲 与
之言 、老父径去不 顧、此事儒林文苑中旧説話、
而在 人口耳 既已腐爛矣、似 宜 不 語焉者 、
然人遣 其境 、則孰無 心寒股粟不 失 其度 者
哉、故雖 在 口耳 既已腐爛 、又当 温 故而知
新、是乃可 謂 善学 也、吾嘗尋 繹先生存 誠敬
之旨 、頗有 一得 矣、常告 子弟 曰、彼老父必
老荘釈列之徒、而精 其道 者也歟、雖 如 説 無
心 挫 先生之答 、然渠似 不 識 其誠之所 以
誠 、敬之所 以敬 者 也、夫吾儒之存 誠敬 者
、則更無 一点禍福生死之念黏 著於方寸 、故其
方寸乃与 太虚 一焉、是即大無心也、而何無心
及 之、如非 誠敬 而徒無心、則雖 人特枯木朽
株焉耳、枯木朽株、亦能入 水不 沈、異端之不
動 心、大凡此類也、以 之経与 存 誠敬 之君
子 、同視抗衡可耶、故先生当 危時 無 怖色
即心太虚、而与 舜之烈風雷雨弗 迷一般、倶従
存 誠敬 上 来、鳴呼、誠敬之義大矣哉、老荘
釈列之徒、何足 知 之歟、其後先生自 還 洛、
容色髭髪、皆勝 乎平昔 、非 有 佗術 以致 之、
是亦誠敬之滋潤耳、思 之則勿 以 腐爛 視 之
可也、 輩勉 旃勉 旃、此非 特責 子弟 、予
亦志 于是 者也、
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● 州。四川省
に在り、今の
陵県なり、伊川
罪を獲て此に貶
せらる。
●儒林文苑。学
者文士の仲間。
●論語為政篇に
「故きを温ねて
新しきを知る、
以て師たるべ
し」とあり。
●老荘釈列。老
と、荘周と、
釈の仏法と、老
と荘との間に出
でたる列子、列
子は老子の道を
祖述し、其書今
に伝ふ、列禦寇
ならんとしいふ。
●枯木朽株。槁
木死灰といふに
同じ、今人の謂
ふ無神経なり、
無神経なれば、
火に熱せず、水
に溺れず。
●烈風云々。史
記に見ゆ。
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