山田準『洗心洞箚記』(本文)251 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.2

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『洗心洞箚記』 (本文)

その251

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

        ふうしゆう 一〇三 伊川先生州の行は、乃ち其の厄なり。其               ほと   くつが  の江を渡るや、中流にして船幾んど覆へる。舟中             えり  の人皆号哭す、先生独り襟を正し安坐して常の如  し。已にして岸に及ぶ。同舟に老父あり、問うて      き               ふしよく  曰く、危時に当り、君独り怖色なし、何ぞやと。       せいけい  曰く、心に誠敬を存するのみと。老父曰く、心に              誠敬を存するは固より善し、然れども無心なるに                   たゞ  若かずと。先生之と言はんと欲す、老父径ちに去             つて顧みず。此事は儒林文苑中の旧説話にして、                  ふらん  而て人の口耳に在りて、既に已に腐爛せり。宜し  く語らざるべきものに似たり。然れども人其の境    あ         たれ  しんかんこりつ  に遭へば、則ち孰か心寒股栗して其の度を失はざ                       ふらん  る者なからんや。故に口耳に在りて既に已に腐爛           ふる   たづ  すと雖も、又た当に故きを温ねて新しきを知るべ  し、是れ乃ち善く学ぶと謂ふべきなり。吾れ嘗て             じんえき  先生誠敬を存するの旨を尋繹して、頗る一得あり。                    らうさうしやくれつ  常に子弟に告げて曰く、彼の老父は必ず老荘釈列  の徒にして、而て其の道に精なる者ならんか。無            くじ            心を説いて先生の答を挫く如しと雖も、然かも渠  れ其の誠の誠たる所以、敬の敬たる所以を識らざ  る者に似たり。夫れ吾が儒の誠敬を存する者は、             ねん     ねんちやく  即ち更に一点禍福生死の念方寸に黏著するなし。  故に其の方寸は乃ち太虚と一なり。是れ即ち大無  心なり、而かも何の無心か之に及ばん。もし誠敬  にあらずして而て徒に無心ならば、則ち人と雖も    こぼくきうしゆ  特に枯木朽株のみ。枯木朽株も亦た能く水に入つ  て沈まず。異端の心を動かさざる、大凡そ此の類         たゞ             どう  なり。之を以て径ちに誠敬を存するの君子と、同   しかうかう  視抗衡す可ならんや。故に先生危時に当り怖色無                      かりしは、即ち心太虚にして、而て舜の烈風雷雨  に迷はざりしと一般なり。倶に誠敬を存する上よ        あ ゝ  り来れり。鳴呼、誠敬の義は大なるかな、老荘釈                      ふう  列の徒何ぞ之を知るに足らんや。其の後先生よ   らく           しはつ       まさ  り洛に還る、容色髭髪皆平昔に勝れり。佗術あり                     じじゆん  て以て之を致すにあらず、是れ亦た誠敬の滋潤の  み。之を思へば腐爛を以て之を視るなくして可な    なんぢはいこれ      これ  り。輩旃を勉めよ旃を勉めよ。此れ特に子弟を  責むるのみにあらず、予も亦た是れに志ざすもの  なりと。   伊川先生州之行、乃其厄也、其渡江、中流   船幾覆、舟中人皆号哭、先生独正襟安坐如常、   已而及岸、同舟有老父問曰、常危時、君   独無怖色何也、曰、心存誠敬耳、老父曰、   心存誠敬、固善、然不無心、先生欲   之言、老父径去不顧、此事儒林文苑中旧説話、   而在人口耳既已腐爛矣、似語焉者、   然人遣其境、則孰無心寒股粟不其度   哉、故雖口耳既已腐爛、又当故而知   新、是乃可善学也、吾嘗尋繹先生存誠敬   之旨、頗有一得矣、常告子弟曰、彼老父必   老荘釈列之徒、而精其道者也歟、雖無   心先生之答、然渠似其誠之所以   誠、敬之所以敬也、夫吾儒之存誠敬者   、則更無一点禍福生死之念黏著於方寸、故其   方寸乃与太虚一焉、是即大無心也、而何無心   及之、如非誠敬而徒無心、則雖人特枯木朽   株焉耳、枯木朽株、亦能入水不沈、異端之不   動心、大凡此類也、以之経与誠敬之君   子、同視抗衡可耶、故先生当危時怖色   即心太虚、而与舜之烈風雷雨弗迷一般、倶従   存誠敬来、鳴呼、誠敬之義大矣哉、老荘   釈列之徒、何足之歟、其後先生自洛、   容色髭髪、皆勝乎平昔、非佗術以致之、   是亦誠敬之滋潤耳、思之則勿腐爛之   可也、輩勉旃勉旃、此非特責子弟、予   亦志于是者也、


州。四川省
に在り、今の
陵県なり、伊川
罪を獲て此に貶
せらる。












儒林文苑。学
者文士の仲間。

論語為政篇に
「故きを温ねて
新しきを知る、
以て師たるべ
し」とあり。









老荘釈列。老
と、荘周と、
釈の仏法と、老
と荘との間に出
でたる列子、列
子は老子の道を
祖述し、其書今
に伝ふ、列禦寇
ならんとしいふ。










枯木朽株。槁
木死灰といふに
同じ、今人の謂
ふ無神経なり、
無神経なれば、
火に熱せず、水
に溺れず。


烈風云々。史
記に見ゆ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その250/その252

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