● ● そく
一〇四 張子曰、「天地の塞は吾が其の体なり、天
すゐ
地の帥は、吾が其の性なり」と。謹んで按ずるに、
西の銘二百五十有三字の要、亦た此の二句に在り。
た そく すゐ たい せい
而て此二句の要は、亦た止だ塞・帥・体・性の四
そく じうそく けいしやう
字に在るのみ。塞は両間に充塞して、而て形象あ
すゐ
るものなり、是れ即ち太虚の用なり。帥は太虚の
神にして、而て形象無きものなり、是れ即ち有形
げん そく すゐ や ちか
の原なり。故に塞に帥なければ、則ち息むに庶し。
ほどこ
帥に塞なければ、則ち施す所なし。要するに二に
●
して一なり。然らば則ち塞・帥は天地の理気にあ
らずや。夫れ人物の体性は、皆天地の理気より生
じ来る、本と二なし。猶子の父母より出で来ると
一般なり。故に曰く、乾坤は人物の大父母なりと。
●すう ●えい ほうじん ● しん
崇伯が子や、穎の封人や、舜や、申生や、参や、
はくき
伯奇や、皆善く其の君父に事へて、而て吾が体性
●
の徳を尽す、以て大父母賜ふ所の理気を全うする
た
ものなり。其の賜ふ所の理気は、豈止だ昔人のみ
ならん、今人及び千万歳後の人と雖も皆具す。学
と云ふものは、此れを学ぶのみ。
張子曰、「天地之塞、吾其体鮭、天地之帥、吾
其性」、謹按、西銘二百五十有三字之要、亦在
此二句、而此二句之要、亦止在塞帥体性之四
字焉而已矣、塞充塞乎両間、而有形象者
也、是即太虚之用、帥太虚之神、而無形象者
也、是即有形之原也、故塞無帥、則庶乎息
矣、帥無塞、則無所施焉、要二而一也、然
則塞帥非天地之理気耶、夫人物之体性、皆従
天地之理気生来、本無二矣、猶与子従父母
出来一般、故曰、乾坤、人物之大父母也、崇
伯子也、穎封人也、舜也、申生也、参也、伯奇
也、皆善事其君父、而尽吾体性之徳、以全
大父母所賜之理気者也、其所賜之理気、豈
止昔人、雖今人及千万歳後之人皆具焉、学云
者、学此而已矣、
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●張子。宋の張
載。横渠先生と
称す、正蒙は其
の主著にして、
西銘はもと訂頑
と称す、程伊川
曰ふ西銘の書た
る、理を推して
義を存し、先輩
の未だ発せざる
所を拡む、孟子
の性善養気の論
と考を同じうす
と、以下の文は
百銘の語。
●天地の塞云々。
天地に塞がつて
居る気は吾が其
の体とする所、
天地の志(帥)
は吾が其の性と
する所。
●塞帥。塞は気
に当り帥は理に
当る。
●崇伯が子云々。
崇伯なる鯀の子
禹は酒を悪みて
子の養を全うす。
●穎の封人。其
の孝を他に及ぼ
せること左伝隠
公元年に出づ。
●舜は天子大孝、
申生は晋の献公
の太子、参は孔
子の弟子曾参、
伯奇は周の宜王
の賢臣尹吉甫の
子、皆孝子なり。
●大父母。天地。
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