山田準『洗心洞箚記』(本文)254 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.5

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『洗心洞箚記』 (本文)

その254

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

    ●        ●   そく 一〇四 張子曰、「天地の塞は吾が其の体なり、天    すゐ  地の帥は、吾が其の性なり」と。謹んで按ずるに、  西の銘二百五十有三字の要、亦た此の二句に在り。              た  そく  すゐ  たい  せい  而て此二句の要は、亦た止だ塞・帥・体・性の四         そく       じうそく        けいしやう  字に在るのみ。塞は両間に充塞して、而て形象あ                   すゐ  るものなり、是れ即ち太虚の用なり。帥は太虚の  神にして、而て形象無きものなり、是れ即ち有形   げん         そく  すゐ       や    ちか  の原なり。故に塞に帥なければ、則ち息むに庶し。            ほどこ  帥に塞なければ、則ち施す所なし。要するに二に               して一なり。然らば則ち塞・帥は天地の理気にあ  らずや。夫れ人物の体性は、皆天地の理気より生  じ来る、本と二なし。猶子の父母より出で来ると  一般なり。故に曰く、乾坤は人物の大父母なりと。 すう     えい ほうじん         しん  崇伯が子や、穎の封人や、舜や、申生や、参や、  はくき  伯奇や、皆善く其の君父に事へて、而て吾が体性            の徳を尽す、以て大父母賜ふ所の理気を全うする                    ものなり。其の賜ふ所の理気は、豈止だ昔人のみ  ならん、今人及び千万歳後の人と雖も皆具す。学  と云ふものは、此れを学ぶのみ。   張子曰、「天地之塞、吾其体鮭、天地之帥、吾   其性」、謹按、西銘二百五十有三字之要、亦在   此二句、而此二句之要、亦止在塞帥体性之四   字焉而已矣、塞充塞乎両間、而有形象者   也、是即太虚之用、帥太虚之神、而無形象者   也、是即有形之原也、故塞無帥、則庶乎息   矣、帥無塞、則無施焉、要二而一也、然   則塞帥非天地之理気耶、夫人物之体性、皆従   天地之理気生来、本無二矣、猶与子従父母   出来一般、故曰、乾坤、人物之大父母也、崇   伯子也、穎封人也、舜也、申生也、参也、伯奇   也、皆善事其君父、而尽吾体性之徳、以全   大父母所賜之理気者也、其所賜之理気、豈   止昔人、雖今人及千万歳後之人皆具焉、学云   者、学此而已矣、

張子。宋の張
載。横渠先生と
称す、正蒙は其
の主著にして、
西銘はもと訂頑
と称す、程伊川
曰ふ西銘の書た
る、理を推して
義を存し、先輩
の未だ発せざる
所を拡む、孟子
の性善養気の論
と考を同じうす
と、以下の文は
百銘の語。
天地の塞云々。
天地に塞がつて
居る気は吾が其
の体とする所、
天地の志(帥)
は吾が其の性と
する所。

塞帥。塞は気
に当り帥は理に
当る。

崇伯が子云々。
崇伯なる鯀の子
禹は酒を悪みて
子の養を全うす。

穎の封人。其
の孝を他に及ぼ
せること左伝隠
公元年に出づ。

舜は天子大孝、
申生は晋の献公
の太子、参は孔
子の弟子曾参、
伯奇は周の宜王
の賢臣尹吉甫の
子、皆孝子なり。

大父母。天地。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その253/その255

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