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一〇五 張子曰く、「太虚にして形なきは、気の本
しう さん ● かくけい しせい
体なり。其の聚其の散は、変化の客形のみ。至静
かん えんげん しき ち
にして感なきは、性の淵源なり。識あり、知ある
●ぶつかう
は、物交の客感のみ。客感と客形と、感なく、形
なきとは、惟だ性を尽すもの之を一にす」と。謹
い
んで按ずるに、張子が正豪に太虚を道ふは此れよ
り始まる。太虚にして形なきより変化の客形のみ
に至るまでは、太虚の体用を論ずるなり。至静に
して感無きはより物交の客感のみに至るまでは、
性情の体用を論ずるなり。客感と客形とより終り
に至るまでは、聖人理気を合せて一にするを論ず
るなり。然らば則ち聖人の心は即ち太虚なり。是
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の故に吾が輩真に聖功に志ざすは、則ち及ばずと
雖も、其の願なきにあらざるなり。
張子曰、「太虚無形、気之本体、其聚其散、
変化之客形爾、至静無感、性之淵源、有識
有知、物交之客感爾、客感客形、与無感無
形、惟尽性者一之、」謹按、張子正豪道
太虚自此始、太虚無形至変化之客形爾、
論太虚体用也、至静無感、至物交之客感
爾、論性情体用也、客感客形至終、論聖
人合理気而一焉也、然則聖人之心即太虚也、
是故吾輩真志聖功、則雖不及、非無其
願也、
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●以下は張子正
蒙の文なり、正
蒙は張子の学説
思想の録された
るものにして、
太虚の説は此に
出づ。
●変化の客形。
気の聚散は変化
の仮りの形象。
●物交の客感。
外物に交つた上
の仮りの感覚。
●聖功。聖人の
心即ち太虚と一
なる功(しごと)。
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