一〇六 張子曰く、「太虚は気なきこと能はず。気
は聚つて万物とならざること能はず。万物は散じ
● したが
て太虚とならざること能はず。是れに循つて出入
や
するは、是れ皆已むを得ずして然るなり。然らば
● わづら
則ち聖人は道を其の間に尽し、兼ね体して累はさ
れざる者にして、神を存すること其れ至れり。彼
●じやくめつ ゆい したが
の寂滅を語る者は、往て反らず。生に徇つて有に
●
執する者ほ、物にして化せず。二者間ありと雖も、
ひと
以て道を失へるを言へば則ち均し。聚るも亦た吾
が体、散ずるも亦た吾が体なり。死の亡びざるを
知る者は、与に性を言ふべし」と。謹んで按ずる
に、太虚や、気や、万物や、道や、神や、皆一物
にして、而て聚散の殊なるのみ。要するに太虚の
変化に帰するなり。故に人・神を存し、以て性を
尽せば、則ち散じて而て死すと雖も、其の方寸の
虚は、太虚と混一して而て同流し、朽ちず亡びず。
こゝ
人もし虚を失はずして此に至らば、亦た大なり。
●
盛なり。而も老仏は倶に道に暗し。故に仏は散を
知つて聚を知らず、是れ陰を知つて陽を知らざる
ものなり。老は聚を知つて散を知らず、是れ陽を
ぺん
知つて陰を知らざるものなり。各々一偏に陥る、
豈聖人の陰を知り陽を知り、死を知り生を知ると
日を同じうして語るべけんや。
張子曰、「太虚不能無気、気不能不聚而
為万物万物不能不散而為太虚、循是出
入、是皆不得已而然也、然則聖人尽道其間、
兼体而不累者、存神其至矣、彼語寂滅者、
往而不反、徇生執有者、物而不化、二者雖
有間矣、以言失道則均焉、聚亦吾体、散亦
吾体、知死之不亡者、可与言性矣、」謹按
太虚也、気也、万物也、道也、神也、皆一物、
而聚散之殊耳、要帰乎太虚之変化也、故人存
神以尽性、則雖散而死其方寸之虚、与太虚
混一而同流、不朽不亡矣、人如不失虚而至
此、亦大矣盛矣、而老仏倶暗道、故仏知散而
不知聚、是知陰而不知陽者也、老知聚而
不知散、是知陽而不知陰者也、各陥于一
偏矣、豈可与聖人知陰而知陽、知死而知
生同日而語哉、
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●聚散に循ふ。
●兼体。太虚と
万物とを兼ね体
す。
●寂滅。仏家の
意見。
●物にして化せ
ず。物に捉はれ
融化せず、俗学
を指す。
●太虚変化の道。
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